悪友番外

(五夏/悪友番外)

 
 
 
 

 両手に白い手袋をはめた悟が、宝石をつまんで睨んでいる。
 頑強そうなアタッシュケース、見るからに高そうな布、大小さまざまな宝石が四十個ほど。それらがダイニングテーブルの上に並べられていた。
「ふむ」とうなづいた悟が、宝石を右に避ける。次の宝石をつまんで掲げる。手のひらに乗せ、ころころと転がし、ぱちぱちと白いまつ毛を揺らし、ぽいと捨てるように左に置いた。
 その様子を私は向かいの席で、酒を飲みながら眺めていた。今日は日本酒だ。
 お土産といって悟が持ち帰ってきたものだが、間違いなく貰いものだろう。「酒を買ってきてくれ」と頼んだ以外で、悟が酒を買う場面を見たことがない。本人が下戸だからか、プレゼントやお土産の選択肢から、すぐ外れてしまうらしい。選択肢に浮上させたことがあるかどうかも怪しいものだ。
 ピーナッツをつまみながら、やたら高そうな味のする日本酒をあおる。もう少しいいつまみがあればよかったのだが、あいにく現在この家にはろくなものがない。
 悟は一か月ほど家を空けていて、二時間ほど前に事前連絡もなしに帰宅し、私は明日買い物に行こうと考えていた。冷蔵庫の中にはもう、ヨーグルトと納豆とドレッシングと炭酸水くらいしか入っていない。
「ね、悟。あれ使わないの、あれ、ルーペみたいなの」
 家庭的な晩酌のすぐそばにある、宝石鑑定の現場を指さす。
 先に断っておくが、元々はなけなしの冷蔵庫の中の食材で作ってあげた、かきたまうどんを食べる悟の向かいで晩酌をしていたのだ。その後悟がそこに仕事を持ち込んだのであって、断じて私が邪魔をしにきたわけではない。
 晩酌の向かいでしてもいい仕事なのだろう、たぶん。あまりいいとも思えないが大丈夫なのだろう、たぶん。少々酔いが回ってきたので良く分からない、ということにしておこう。
 悟が手元から顔をあげ、私を見た。その手で掴んでいるものより、本人の瞳のほうがよほど価値のある宝石のような見た目をしていた。
「使わないけど。なくても見えるし」
「やっぱり目がいいんだね。でもあれ、あるとかっこよくない?」
 鑑定番組や、貴重品の買取窓口に座っている人を思い浮かべる。ああいう小道具があると、専門家っぽさがぐっと増すように思う。
 かたや向かいの悟は、砂場で拾ったきれいで透明なかけらが、ガラスか宝石かを確かめている、みたいな動きをしていた。本当に鑑定をしているのか怪しむほどだ。
「そんな小道具使うやつより、俺のほうが早いし正確だし有能よ」
「それは専門家に失礼じゃない?」
「俺も専門家なんですけどー」
「そうなるのか? でも悟はどちらかというと、何でも屋みたいだよね」
 宝石だけでなく、陶器も絵画も鑑定できるし、こういう物が欲しいのだけれどと頼めば、どこからともなく買い付けてくる、らしい。私は依頼したことがないので詳しく知らない。
 おかげで悟はすぐ家を空ける。家に居るのは一年のうちの半分くらいかもしれない。それでも頻繁に連絡を取り合うので、毎日会っているかのような錯覚を起こすから不思議だ。
「今までに間違えたことってあるのかい?」
「鑑定を?」
「そう」
 考えるように首を傾げながら、悟がまた一つ宝石を右に避けた。それで半分は見終わっただろうか。
「ないよ」
「ないんだ。今首を傾げたのはなに?」
「鑑定を間違えたことはないけど、ごねられたことはあったなー、と思って」
「その話ちょっと面白そうだね。聞かせてよ」
「酒の肴に?」
「そう」
 五条悟に喧嘩を売った人間の末路というものに、ちょっとばかり好奇心が湧いた。ぺろりと日本酒を舐める。
「俺が贋作だって報告したら、文句言ってきてさ。科学鑑定に持ち込んで、ぶっ壊したってだけの話だよ」
「うーん、今、壊したって言わなかったか」
「贋作師と組んで作った仏像でさ。俺の鑑定書を手に入れて、大手を振って高値で売る予定だったらしいよ」
「仏像まで鑑定できるのか。すごいね」
「真贋見分けろってのなら何でもできるよ。傑の偽物ができてもすぐ分かると思う」
「私の偽物が出てきたら怖くない?」
 それにしたって仏像は大手を振って売買していいものなのだろうか。文化財だのなんだのないのだろうか。まあ、贋作だったそうなのだが。
「マジの昔の塗料とか木材とか持ち出してきてさー、成分鑑定あたりだと本物って結果になっちゃったんだよね。絶対違うってぶっ壊したら中から現代の素材がちょーっとね」
「仏像壊すとかばち当たりだな」
「偽物作る方がばち当たりでしょ」
「それもそうか」
 しかし贋作だったから良かったものの、もし本物だった場合、悟は今頃前科一犯とかになっていたのではないか。そう思うと少し酔いがさめた。
 話ながらも悟は順調に宝石の鑑定を進めていた。鑑定済みの宝石が、横一列に並んでいる。右に行くほど大きいものが多くなっているが、小ぶりなものも紛れ込んでいた。大きさ順ではなさそうだ。色もバラバラ。規則性はないように思えるが、悟は意識して置き場を決めている様子がある。
 分からなかったので素直に聞いた。あと、話題を変える意味もかねて。
「ところでこの宝石、何順なの」
「値段」
「現金だな」
「そういう依頼だし」
「値段を決める基準って、大きさ以外になにかあるの」
「色味とか形とか。あと希少さに、まあ色々」
「右に行くほど高いで合ってる?」
「正解。一番右が三千万くらいかな」
「うわ」
 いよいよ酔いがさめた。
 日本酒とピーナッツと一緒のテーブルに乗せていていいものなのか。なにげなく、グラスと小皿を手前に引いた。
「傑にプレゼントした奴より安いんだから、そんな気にしなくていいよ」
「悟のそういうところ、怖いんだよね」
 物の価値や値段を判断する仕事をしているくせに、本人が重要視している価値観は全く別の場所にある。
 だから人に誕生日プレゼントと称してポンと数千万円の価値があるピアスをプレゼントしたりする。それが今自分の耳にあると思う、ときどき冷や汗が出る。無くした日には首を括って死にそうだ。と送り主相手にぼやいたことがあるのだが「無くしたり盗られたら見つけてくるから心配しなくていいよ」とブイサインが返ってきた。色々な意味で怖い。
「この前七海に言われたんだけど、そういう時は普通、重いって言うらしいよ」
「あー」そうともいうかもね、と腕を組むと「やっぱそうなの?」と悟が目をしばたたかせた。
「傑に重いって言われたことなかったけど、重いって思ってんの?」
「いいや? なんていうか、悟を普通の規格ではかるのは無謀じゃないか?」
 悟でない誰かに同じことをされたら、まず間違いなく重いと感じるに違いない。だが悟は至極当然のこととしてふるまうので、そういうものとして受け入れてしまう。あとはまあ、慣れだ。「んじゃいいや」と軽く答えた悟が、手の中の宝石を転がした。
「おーわり。撤収!」
 左端の塊を、ごそっと掴むと小さな袋に無造作に放り込んだ。そこから右に行くほど丁寧にアタッシュケースの中に戻されていく。最後につるつるさらさらの布に三千万円が包まれた。パチンと音を立てて、アタッシュケースが閉まる。
 それに合わせて、残りの日本酒を一気に煽った。
「それじゃあ、する?」
「えっ」
 頬杖をつき、その指先で唇を示すように触れながら、わずかに上目で悟を見た。視線の先に、面白いくらい目をまん丸にした男が映る。一応これまでは仕事モードだったのかもしれない。普段ならもう少しリアクションがいい。
 面白いなあと思いながら、にんまりと笑って追撃を加える。
「実は準備してあるんだけれど」
「はっ? うそ、いつ? 俺急に帰ってきたよね」
「君がシャワーを浴びている間にね」
「マジ?」
「なんのためにここでずっと君の仕事を眺めていたと思っているんだ」
 そうでなければ、仕事の邪魔をしちゃ悪いね、と言ってさっさと寝ていた。
 悟は考えるように首をひねってから、パチンと指を鳴らした。
「……一か月ぶりの再会だから!」
「それなのに仕事を始めるとか、薄情なやつだよ」
「早く傑の実物みたくて仕事持って帰って来ちゃった」
「はは、知っているよ」
 そういうところ、可愛げがあって好きだし。
 よし、と椅子をひき、立ちあがる。悟の視線が追いかけるように私を見上げていた。
「ほら早くしな。こっちは準備万端でムラムラしているんだぞ」
「わはは! マジで!」
「はあ、私は一か月ぶりだから期待したのに、本当に君ってやつは酷いな」
「このコントもうちょい続ける?」
「君が早くしてくれればそれでいいのだけれど?」
「分かった直ぐ行こ」
 悟は音を立てて椅子から立ち上がると急に真顔になった。
 そしてアタッシュケースに目を向けた。ふと首をひねったのち、私を見る。
「俺、仕事してる場合じゃなかったことない?」