悪友ハネムーン

(五夏/悪友後日談)

 
 
 
 
 

 そわそわと悟が左手を見ている。
 左手の薬指。もっと正確にいえば、そこにはまる指輪。
 近場にあるジュエリーショップのオーダーメイド品。
 結婚指輪としては妥当な金額か、少し高いくらい。
 日々数千万という金額をやり取りしている男からしたらはした金みたいなものだろうが、二人で選んで二人でお金を出し合ったからか、はたまた単純にペアリングだから嬉しいのか、その横顔はやけにご機嫌そうだ。
 ソファに座ってコーヒーの入ったマグカップを右手に、青い瞳をちかちかさせながら左手を眺めている。そのシルエットはまあかわいい。
 意地でも親友でいたい癖に、ペアリングは嬉しいようだった。
 とはいえ悟の言う親友が、一般的な意味の範囲に収まるとも思っていない。それを言ってしまえば私もか。けれどまあ、それ以上適切な言葉も見つからないので、別にいいのだけれど。
 コーヒーを飲み干すと悟はキッチンに消えた。それを見送りながら、私は取ってきた新聞を持って、入れ替わるようにソファに座る。
 仕事を辞めて暇ができたので、朝に新聞を読む癖がつき始めていた。ぼちぼち悟の仕事を手伝い始める予定でいるが、今まで一人でなんの不自由もなくこなしていた男に、はたして手伝いがいるものだろうか。
 テーブルの上に新聞を広げたとき、視界の端に悟が入ってきた。
 演技がかった動きで、キャリーケースを引きながら。
「え、なに」
 長い脚を見せびらかすようにステップを踏んだのち、ターンしてキャリーケースを指さす。
 いや見えている。キャスターがフローリングを転がる音がうるさいし。
「ハネムーンしよ!」
「……ああ、結婚指輪できたし?」
「そっ。よくない?」
「面白そうではあるね」
 実は悟と「旅行」をしたことはほとんどない。
 出かけた先でついでに観光をすることはあったが、旅行がメインのことはなかった、はずだ。さすがにあったかと記憶を漁ってみたが、やはりなかった。
 飛行機に乗ったのは五回。謎のアジトに殴りこんだのが三回、お宝発掘洞窟探検に付き合わされたのが一回、山奥の部族から宝石を受け取るために登山したのが一回。
 ただの大学生で、ただの社会人だったはずなのに、渡航履歴が妙だなとあごに手を当てて考える。
「それで、行き先とか、時期とか、なにか計画はあるの?」
「もちろん。三時間後に成田から出る便取ってあるよ」
「なんだって?」
「飛行機を降りたら船旅がメイン」
「いや、荷造りもしていないよ」
 三時間後って、急な飲み会の約束でもあるまいに。
 今更悟にどうやって書類申請したのだと聞くのは野暮だ。すでに前科何犯かも分からないほど、私の個人情報は使われ放題だ。
 今となっては同じ家に住んでペアリングまではめる仲なので、もういいかと思うものだが、別々の家に住んでいた大学生時代からこうだった。
 文句を言うならもっと早く言わなければならなかったし、私はその時「しょうがないか悟だし」と流してしまったので今更どうともできない。その上、大して困っていない。
「大丈夫大丈夫、傑の荷物も昨日の夜準備しておいたよ。まだあっちの部屋にある」
「昨日の夜は仕事をしていたんじゃなかったのか!」
 やることがあるからという悟に、気を使って先に寝たというのに。
 思い返してみれば、寝室でごそごそする気配があったような、なかったような。今更悟が動き回っているくらいで起きやしないので気づけなかった。
「ほらほら早く着替えて行こ」
「あのね悟、報連相って知っているかい」
「鉄分多めのね」
「葉っぱじゃないよ」
 まったくもうとため息を吐きながら、すっくと立ちあがる。
「君はいっつも事後報告だよね。私でなければとっくに愛想を尽かしているぞ」
 撃ち抜くように悟の眉間を指さすと「傑に愛想尽かされなかったら問題ないからオッケーってことね」とウインクが返ってきた。
 そういう意味じゃないのだけれど、そうなってしまうのかと指先を振ってクローゼットに向かう。
 シャツとジャケットとパンツを取り出し、ところでどういう気候の場所に行くのだろうなと考えながら部屋着を脱ぎ捨てた。フローリングに落としたそれを、さっと悟が回収していく。
「なんだかんだ言いながら、準備してくれる傑のこと好きだよ」
「全くね、私になにも予定がなかったからいいものを」
「予定ないって知っててスケジュール組んでるに決まってんじゃん」
 そういうところ本当に計画的で関心するような、あきれるような、ムカつくような。
 シャツのボタンを留めながら、おや、と首をひねる。
 確かに現在の私は、今後一週間ほどなにも予定はない。けれど元々は明日、別の用事があった。
「……そういえば私、本当なら明日灰原と会うはずだったのだけれど」
 用事ができちゃいましたごめんなさい日程ずらしてもいいですか、と灰原から連絡をもらったのが先週のことだ。
 じとりと睨むと、悟がぺろりと舌を出した。
「灰原に連絡してずらしてもらっちゃった」
「なんてことするんだ! 横暴だぞ!」
「サプライズしたいからって言ったら快くOKしてくれたよ」
「君ってやつは!」
 しかし「いいですよ!」と満面の笑みで頷く灰原の顔が思い浮かんでしまった。手のひらで顔を覆って盛大にため息を吐きだす。旅行のお土産を渡せる日程に変わったと、前向きに受け止めることにしよう。なにか美味しいものを買ってやろう。
「飛行機取った後に灰原と約束してんだもん、ちょっと焦った」
「飛行機を取る前に相談してほしいものだね」
「でも傑、急に連れていかれるの好きじゃない?」
「好きじゃないよ」
「嫌いではないでしょ」
 好き嫌いの二択しかないと、好きになってしまうかもしれない。
 しかしそう答えれば調子にのると分かっているので、ため息で済ます。
 急に連れていかれたり、行き先がどこだか知らなかったりする以外は、各種交通手段も宿泊先も全部用意されているので楽ではある。それに悟と一緒ならばどこへ行っても飽きないし。
 こういうところが甘いんだろうなと苦笑する。
 悟は洗濯物を抱えて一度姿を消すと、もう一つのキャリーケースを持って戻ってきた。
 見覚えがある。私のキャリーケースだ。
 本当に勝手に準備してくれたらしい。傍若無人のくせ用意周到で、結局それを面白がってしまうから、いつまで経ってもこんな感じだ。
 いよいよ結婚でハネムーンらしいしな、親友なのに、と左手を見る。浮かれ気味なのは私も同じか。
「そうだ傑、ヘアセットしたげようか」
「たまにはいいね。バカンスっぽくしてくれるかい」
「わはは! ノリノリじゃん」

 
 
       ◇
 
 

「今日はわりと、普通の航路だったね」
 海風に吹かれながら、タラップを踏む。ハーフアップにまとめた髪があおられるようになびいた。
 空港の鏡でみたところ、シルエットはいつもと変わらないものの、サイドが器用に編み込まれていた。なるほど、浮かれていてバカンスらしかった。花でも挿したらいっそう完璧だろう。挿してほしいわけでは全くないが。
 持ってきた荷物は船長が降ろしてくれる。今日の客は私と悟の二人だけだそうだ。
 あまりに客が少ないから普段は漁船をしていて、予約が入ったときだけこうして人を運んでいるんだよと、悟が説明してくれた。どうやら前にも来たことがあるらしい。
 しかし船長はそんなことすっかり忘れたというように「十年前に出て行った南のせがれかい、いやなんか顔が違うな、こんなところまで何の用だい」などと悟に話しかけていた。「ハネムーンなんだよ」とご機嫌に答えた姿が面白かったのか、船長は腹を抱えて笑っていた。「それはいいこった」
 飛行機と船を乗り継いでやってきたのは、どこかの島だった。
 いつものごとく悟に言われるままにバケーションと答えて入国したのも、もう半日以上前になる。
 スーツケースを引いて、石畳の街を進む。
 知らない場所に急に連れていかれることにもすっかり慣れてしまった。
「それで、今回はどういうところに連れて来てくれたんだい」
「なーんもないところだよ、観光地とかじゃない。宿とレストランとか、生活に必要なものは一通りあるけれどね」
 言われてぐるりとあたりを見回す。
 確かに観光客らしき影は見当たらない。海風に吹かれるように歩いている人はみな軽装で、家から少し出てきただけといった様子だ。
 田舎町という言葉が頭をよぎる。それにしたって、整備された街並みと、独特な建物の形には愛嬌が合って、観光地になっていてもおかしくない様に思う。
「こんな場所、どうやって見つけてきたんだ」
 ハネムーン、行き先、で検索しても絶対に出てこないだろう。そんなありふれたことを、この男がするとも思えないが。
 悟は片手をあげると、街の一角を指さした。
 丘の上にひと際大きな建物が建っている。お城のように立派な外観をしていた。
「あそこ、あの大きな城みたいな家に呼ばれたことがあって」
「あれ、家なの?」
「由緒ある地主らしいよ」
 それにしても大きいなと城の影を睨む。
 そういう家に住む人もいるだろうと納得したとしても、どうやって悟にコンタクトを取ってきたのかは気になった。
 古物商として広告を打っているわけでも、HPを持っているわけでもないのに。横のつながりが強い世界なのだろうか。もう直ぐ私もその片棒を担ぐので、そろそろ勉強をするべきか。
 一般的な勉強をしたところで、悟のやり方に合うとも思えないが。
「あそこの爺さんが、たった一人の孫に一番価値のある物を渡してくれって遺言残して亡くなったんだよね。けどどれにどんな価値があるのか分からなくて、俺が呼ばれたってわけ」
「ああ、なんでも鑑定できるから」
「そゆこと。爺さんの友人から俺の話を聞いたんだってさ。でも一番高価な物をじゃなくて、価値のあるものをっていうから大変だったよ」
「ということは見つかったんだ」
「もち。オルゴールだったよ、思い出のね。っていっても数千万はするけど」
「数千万のオルゴールって想像つかないな」
「有名な職人の手作り一点ものってやつ」
 それで数千万になるのかと首をひねる。
 絵画も一点もので数千万になるとおもえば、同じ理屈でオルゴールに価値がつくこともあるのかもしれない。
 そんな話をする悟の横顔は柔らかに笑っていて、いい思い出らしいと察する。
「そもそも爺さんがかなりのコレクターでさ、家を圧迫してたから遺品整理もかねての仕事だったんだよね。そんとき、また遊びにおいでって言われてたなーって思い出して、ここにした」
「てことは、今からあそこに行くの?」
「ううん。一回くらいは顔出すけど、ホテル取ってるからそっちが先。まあ泊まりに行っても喜ばれるだろうけど、傑ひとに囲まれると気ぃ遣うだろ」
 ふっと視線を向けられて、目が合う。
 悟の気遣いはどうもこそばゆい。
 確かに人に囲まれると気が休まらないタイプではある。照れるねと肩をすくめて笑うと、むっと眉を寄せて指をさされた。
「それにすーぐ気に入られるし」
「ふふ、今はこれがあるから言い寄られないよ」
 指輪のはまった左手を掲げて悟の目の前で振ると「言い寄られてたんじゃん!」と指先をはたかれた。
「なんだ、思ったより妬いてたのか。意外だね」
「傑変に真面目だから、恋人作ったら俺に構ってくんなくなんだろ」
「ひっさしぶりに聞いたね、それ!」
 だったら付き合ってと言ってしまえばよかったろうに、そういえば間違いなく「付き合ったら別れないといけないからイヤだ」と答えるに違いない。聞いたことがある。
 結婚したら離婚しないといけないという発想はないらしいなと肩を揺らして笑う。まあ、まだ籍なんて入れていないのだけれど。

 白壁のきれいなホテルの、大理石でできたカウンターでチェックインを済ませ、指定された部屋へ向かう。
 悟がルームキーで開けたドアの向こうには、ずいぶんと開放的な空間が広がっていた。
「やけに広いね」
「スイートルームとかじゃなくて、全部この広さらしいよ。来る人少ないから」
「少ないのにどうやってこの豪華なホテルを経営しているんだ?」
「道楽」
 そう言って、荷物を置いた悟が窓の外を指さした。その先には例の丘の上の城がある。
「あぁ」と瞬時に納得する。
 部屋の調度品はどれも見事なものだし、やけに絵画や骨董品が飾ってある。コレクターだったというお爺さんの私物だったりするのだろうか。ホテルという名の美術館兼倉庫の可能性もある。
「あの絵いくら?」と出来心で悟に訊ねたら「四千万」と返ってきて血の気が引いた。自分の耳にも同等の金額のピアスがはまっているのだが、さっぱり慣れない。
 荷物を置き、羽織っていた上着を脱ぎ、ふらりと窓際に置かれた椅子に座る。
 アンティークの丸いテーブルとそろいの椅子だ。三点セットのこれも、きっとかの人のコレクションだろう。
 将来悟が収集癖に目覚めたら、似たようなお店を始めるのも面白いかもしれない。いや、悟はそういうタイプではないか。
 それにもしお店を始めたとして、誰が店番をするのだろう。やっぱり七海ごと灰原を引き抜いてしまおうか。
 怒るだろうなあと考えながら、頬杖をついて窓の外を眺める。くっと喉を鳴らすと、悟が向かいに座った。
「なんか面白いもの見えた?」
「思い出し笑いだよ。窓の外、景色がいいね。これで観光地ではないなんて不思議なものだ」
 海の色はきれいで、建物の造形も見栄えがする。遠くからカモメの鳴き声が聞こえてくるし、立派な城まで見える。この景色を写真に収めて観光パンフレットの表紙にしたら、さぞ興味を引くだろうに。
 同じように頬杖をついた悟が、緩やかに目を細めて笑った。
「ま、交通の便が悪いからね」
「ああ……」
 それは、確かに、間違いない。船に三時間くらい揺られていたし、その前はバスに二時間乗っていた。座席が硬くて尻が痛かった。レンタカーを借りたほうが良かったしくじったと悟がぼやいていた。
「そうだ、あそこの城のバラ園もすごかったよ。一緒に行こう」
「挨拶を兼ねて?」
「そ。でもまあ明日かな。もうちょっとしたら飯に行こ。この横にレストランあるんだけど、海が近いから海鮮が美味しいよ」
「これだけ要素がそろっていて観光客が居ないなんて、穴場もいいところだね」
「でしょ」
 他にも連れて行きたいところ色々あるから楽しみにしておいて。
 なんていうが、それはこの旅行の中の話なのか、今後の人生の話なのかはかりかねる。それともどちらもだろうか。
 幸いまだ私達の人生は折り返しにも差し掛かっていない。時間だけはたくさんある。
 それにしたって穏やかな景色だ。
 ふと見ると下の道路に、こちらに向けて手を振る人影が見えた。先ほどの船長だ。
 悟がサングラスを頭にさし直してから、元気に手を振り返す。私も倣って控えめに手を振った。船長が何か叫んでいるが、うまく聞き取れない。悟が日本語で「わかった!」と答えている。伝わらないだろそれ、と思ったが、船長は快活に笑って去っていった。会話が成立していたらしい。
「船長、なんだって?」
「新鮮な魚をとなりのレストランに卸すから食べに行け、だってさ。なんの魚か知んないけど」
「いいね、アクアパッツァとか食べたいな」
「言ってくれたら家でも作るよ」
「悟、なんなら作れないんだ?」
 蕎麦もうどんも麺から作っていたし、名前の知らない料理もたくさん出てくる。
 悟は腕を組んでぐっと体を傾けた。眉間にしわをよせて唸っている。そこまで悩まないと思いつかないのか。
 しばらくそうしていた末に「カクテルとか? 味見した俺が潰れる」という答えが返ってきた。「それじゃあカクテルは私が覚えようかな」と言えば「俺を潰すってこと?」と真剣な顔を向けられた。
 それも面白そうだ。今度甘いお酒でも調べよう。潰れない程度に弱いやつをと考えて、ノンアルコールにしたらいいのではと思い当たる。だがそうすると悟が自分で作れてしまう。難しいところだ。
 ふっと息を漏らすように笑う。
「ずいぶんとのんびりしたハネムーンだね」
「よくない? こういう何もないっていうのも」
「確かに贅沢ではあるね。くく、本当はこのあとどこかの組織に乗りこんだりしない?」
「オッケー、今度そういう仕事探しとく」
「やめてくれ」
 やりたいわけではない。けれどまあ、連れていかれてしまったら、きっちり付き合ってしまうに違いない。
 やっぱりいつなんどき何があってもいいように、体は鍛えておこう。今も腹筋は割れているけれど。
 しかし悟のことなので、お腹がでたり体が動かしにくくなったりしら、そういう仕事は探してこなくなる気がした。中年になるころだろか。それともお爺さんになるころだろうか。
「君との付き合いも本当に長くなったね」
 ふと呟く。
 これからのことを考えて、今までもにも色々あったなと思ってしまった。
 これでまだ十年だ。この先一体何が起きてしまうのだろうか。
「あのさー、傑」
 窓の外を見たままの悟に声を掛けられる。「なに」と返すと、青い視線がこちらをちらっとだけ見た。
 すぐそこには澄んだ空と海の青があるのに、悟の瞳のほうがきれいな色をしているな、などと思ってしまう。惚気もいいところだ。
 悟は海を見たまま、静かに呟いた。
「ずっと俺と親友でいてくれる?」
「ハネムーンにまで連れてきて今更?」
「……俺もそう思った」
「なんだそれは」
 しかし親友同士のハネムーンなんて変な言葉の並びだ。私達らしいけれど。
 照れているのか拗ねているのか分かり辛い表情のまま、海を見ている横顔を眺める。
 十年経つわりに、あまり顔が変わらないな、なんて思った。お爺さんになってもこのままかもしれない。おかしくなって、一人でささやかに笑う。

「辞めるものでもないからね」