「俺達も結婚しねぇ?」
なんだってと横を向けば、酒が入ったグラスを持ったまま、連れの男がこちらをじっと見ていた。
結婚式帰りゆえの正装が、言葉に説得力を与えているかのようだ。だがあくまで上辺だけ。中身にはなんの変化もない。
ハッ、と鼻で笑う。
「どうした、俺達は恋人ですらないだろうが。酔っ払い過ぎて誰かと間違えているのか?」
「いやお前ショウだろ。ンな顔が全空に二つとあってたまっかよ」
そこまで酔っていないと言いたげに、ツバサがグラスに口をつける。中身を飲み干すと、カウンターテーブルにカツンと置いた。ひらひらと手を振りバーテーンダーを呼びよせ、別の酒を注文する。
今日は仲間の、結婚式があった。
「最初に結婚すんのがアイツとはなァ」という決まり文句を耳にしながら、懐かしい顔ぶれと共に列席した。良い式だった。そこに立ち会えたことが素直に喜ばしかった。
そして全てが終わり皆が散り散りに帰っていく中ふと、となりに立っていたコイツと目があった。言葉にはしなかったが、お互いまだ昔話をしたい気分だったのだろう。連れ立ってこの店へとやってきた。
とはいえツバサと二人で飲むのは、これが初めてというわけでもない。酒には強い方だとも知っている。だが今日は昼間から飲み続けているといってもいい。いよいよ酔いで頭をやられたか、と納得しかけたが、本人曰く、違うらしい。
「いやさァ、今日言ってただろ、いつ結婚を決めたかーってやつ」
「言っていたな。将来のことを考えていたとき、となりに並ぶ姿が思い浮かんだから、だったか」
「それそれ。でさ、俺も考えたわけよ。五十年後とか。よぼよぼのじぃさんになった時、何してンだろなーって。で、お前は居るなって思ったわけ」
いったいいつから、これほど気安い仲になったのだったか。
二人で飲むのは初めてではないどころか、片手でも両手でも両足でも足りないほどだ。度々こうして肩を並べている。
結婚式等の機会がなければ、顔を合わせることが難しくなった仲間もいる。そんな中、この顔は相当よく見る方だ。見飽きるといってもいいかもしれない。
酒を飲む以外でも会う。互いの家で食事をすることだってある。出会ったころからは想像もできない距離感だ。となりでケラケラ笑う男を見ると、思い出したように驚きを覚えることがある。
今もツバサは、ニヤリと笑っていた。
「てことで結婚。どうよ?」
なんて、まるで理屈が通っているかのような言い草だ。どう考えても破綻しているというのに。その上、段階をすっ飛ばしすぎている。
前述のとおり、俺達は恋人同士ではない。
だが、現在お互い別に恋人が居るわけでもない。
それで、なんだったか。
将来を考えたとき、そこに誰が居るかだって?
バーテンダーが、ツバサの目の前にグラスを運んでくる。それを奪い取り、一息にあおった。「おいこらテメェ!」とテーブルの下で蹴りを入れられ入れ返す。
酒を飲み干すと、喉の奥から笑いがこみあげてきた。
空になったグラスを突き返す。
「悪くねぇな」
結婚した、とはいえ特に何が変わったでもない。変化点と言えば、一緒に住むことにしたくらいだ。これで急にどっちかポックリ逝っちまっても安心だな、などと笑うので、それはあるな、と思った。
そもそも、結婚式の帰りだったから結婚という言葉が出てきただけだろう。現状としてはチームだのタッグだのの方が近い。せいぜい運命共同体か。
しかし引っ越し初日の夜、事件は起きる。
ベッドの上で腕組みをして首を捻っていたツバサが、こう言った。
「俺達よォ、結婚しただろ。つまり今日、初夜じゃねえか?」
210530
「素直におねだりできたら、抱かせてやってもいいぜ」
いやお前が急に人の膝に跨ってきたんだよな、と、なにか知らないが上機嫌らしいショウを見上げる。
さらに言えば一時間前に「事務仕事があるから大人しくしてな」と追い払ったのもお前だ。休みだと思ったのに忙しいやつだ。
しかたがないから同じ部屋の隅にあるソファに腰かけ、暇つぶしに本を読み始めた、までは記憶になる。その後速攻睡魔に襲われ、気づけば昼寝としゃれこんでいた。
一緒に住み始めたことで、お互いの趣味や好みの違いも色々見えてきた。このゴツイソファを持ち込んだのはショウで、先ほど読んでいた本もショウのものだ。貿易うんぬん。
で、ドッという衝撃に目を覚ませば、この状況だ。少なくとも事務仕事とやらは終わったらしい。
なにがなんだかと思いつつ、膝の上に乗った筋肉質で重い体に腕を回す。お互い喧嘩も滅多にしなくなったというのに、相変わらず体は鍛えられていて分厚かった。
「抱きたいです!」
「……素直すぎるな。」
「アァ、何が気に食わねンだよ。人の寝こみ襲っといてよォ」
「人の部屋で勝手に寝るからだろ」
気持ちよさそうな間抜け面だったぜ、と頬をつままれ、人の寝顔まじまじ見るなよ、と頭を振って逃れる。
仕事中のショウをほっぽって寝落ちしてしまったわけだが、不思議とご機嫌のようだ。無理やり真上を向かされたかと思えば、唇が触れ合った。
これだけ密着して、このあとそういうことをするとほのめかされ、キスまでされたら勃ちそうにもなるというものだ。もぞもぞと体を動かすと、触れ合った唇の向こう、喉の奥から笑いがもれ伝わってきた。
「……そんじゃ、ベッド行くか?」
「ここでシても構わないが?」
「マジ? ここに座るたび思い出さねェ?」
「ハッ、チェリーボーイか」
滑らかな発音で煽られるが、反論ではなく長い溜息が口からでた。「はあー」と音として吐き出しながら、ぎゅっと抱き着けば、耳を押し当てた胸筋の下から心なしか早い心音が聞こえてくる。
「十年つるんでて、一回もそんな気になったことなかったのによォ。一回しちまうとなしくずしみてェ」
つい一か月前まで、こいつとはキスもしたことなかったのにだ。一回してしまうと、触ることを覚えた体は欲を出す。一か月前までどういう距離感で接していたのだったか。じきに思い出せなくなりそうだ。
「それで? ベッドか、ソファか、早く決めろ」
お前もなんだかんだ適応早いよな、とトクトクうるさい鼓動に耳を澄ます。
「……ソファ」
そう答えると、高らかに笑われた。
210607
遠くから小気味良い排気音が響いてくる。
我に返るように顔を上げた。もうそんな時間かと時計に目を向ければ、とっくに夜といって差し支えない頃合いになっていた。ふう、と息を吐き、ゆっくりと瞬きを一つ挟む。
聞こえてくるのはよく知った音だ。いやどうだろうか。昔に比べれば、少し大人しくなったかもしれない。十年も経てば、何事も変わるというものだ。
ペンを置き、ぐっと体を伸ばす。排気音は少しずつ近づいてくる。ここに向かってきているのは気のせいではないようだ。いよいよ窓のすぐそばまで来ると、心音にも似たリズムを刻み、すっと静かになった。
わずかに間をおいて、「よー」という声が、正面玄関から響いてくる。受付で挨拶をしているのだろう。受付担当の声は全く聞こえてこないというのに、あいつの笑い声だけがカラカラ響いていた。
そしてほどなく、この部屋の中に本人が現れる。
「よっ。ショウ、お疲れさん。飯行こうぜ」
入ってくるなり片手を上げ、ツバサがニカッと笑った。
部外者だというのに、あっさり顔パスで入ってくるようになったものだ。本来なら受付担当を注意をするところだが、この男に至ってはあまりに今更だ。
「よーツバサ。さっさとキング持って帰ってくれよ。この人まーた休んでないからさぁ」
「そんなこったろうと思ったぜ。そろそろだったろ」
「もうちょっと早くてもいいかな」
「おい、勝手に話を進めるな」
まだ仕事は終わっていないし、人を荷物扱いして送り返そうとするなと睨むが、さっぱり通用しない。そういうところが親友たちのいいところでもあるが、今ばかりは悪いところでもある。しかし嫌でもないのだから、匙加減は難しい。
「キングが帰ってくれないと、俺達も帰り辛いんだよねぇ」
「何を言っている、普通に帰っているだろ」
「いやもうこのやり取りメンド。はいはい、お迎えなんで早く帰ってください。そんでウマい飯でも食ってこいよ」
「そうだよキング。どうせその書類は今日じゃなくていいんだし」
それはまあ、事実だ。そこまで言われてはしかたがないというより、いつもの茶番のようなものだ。「……OK」と吐き出して、書類を紙束の上に戻す。ペンを置き、インク瓶の蓋も締めた。
「五分で支度する」
ツバサに向かって言えば「ンじゃ外で待ってっから」と手を振って出て行った。
「せっかくだし俺らもどっか飲みに行っちゃう?」などとすぐそばから聞こえてくるので「一緒に来たらどうだ」と提案するも「仕事の話しちゃうからダメ」と断られた。「ちゃんと羽伸ばしてきなよ」とは手厳しいことだ。
卓上を片付け軽く掃除し、コートに袖を通して外に出る。あたりはすっかり夜の色に包まれていた。はるか頭上で星が瞬いている。
単車に跨ったツバサがそれを見上げていたが、こちらに気づくと「お疲れ」と昼間のように笑った。
「後ろ乗れよ。疲れてんだろ」
「運転できないほどじゃないさ」
「いーから。一緒に走んのはまた休みン時な」
肩をすくめてから、ツバサの後ろに跨る。まさかここに座り慣れる日が来ようとは。
「そんじゃのんびり行きますか」などとのんきなことを言うので「NO」と蹴りを入れた。「フルスロットルで行け」
そう注文をつければ「吹っ飛んでくなよ!」の笑い声と共に、タービンに火が灯る。
210608
「アイツ意外と足癖悪ィんだよなァ」
たしかに。メリケンサックをはめているし、いかにも拳主体みたいな格好なのにね。頷いて答える。というか急な愚痴にびっくりだよ。最近仲がいいのは知っていたけれど。
とはいえ、拳主体も事実だと思う。ちょいちょい足が出るってだけで。そのことでツバサくんがしばらくモヤモヤしていたのを覚えている。すごく腑に落ちないみたいだった。あれが解せないってやつなのだろうな、とか思った。
それにしたって今日のツバサくんは眠たそうだ。なぜか肩を押さえているし。もしかして肩を蹴られたのか。蹴る? ツバサくんの肩を? 届くのか、ウソだろ。いや、脚が長いし、届くのか。
しかしどうやら違うらしく、ツバサくんは大きくあくびをした後、ムスっと下唇を突き出した。
「今朝もベッドから蹴り落されるしよォ」
なるほ、