春未満の夜明け

(爆轟)
 
    

 ふと目を覚まし、体を起こした。カーテンの隙間が淡くなっている。夜明けか。それにしてもまだ暗い。
ベッドから足を下ろし、大して物もない部屋の中に降りる。元より物の多い部屋ではなかったが、今はより一層だ。必要最低限。寝るところ、着替え、救急箱、それから時計。
 まだ夜明け前だった。
 予定していた起床時間より、一時間以上早い。それでもなんとなく寝る気にならず、窓に近寄りカーテンをめくった。外をのぞき込むと、外を歩く一つの人影が目につく。
 ジャージ姿の轟だ。
 暗がりだが、あの頭だ。一生見間違える事は無いだろうカラーリングを目で追う。何してんだあいつ。と考えて、追いかけるように部屋を出た。
 部屋着から着替えるまでもなく、爆豪もジャージだった。最近着た服なんて、ヒーロースーツかジャージかの二択だ。私服もすっかり置いてきた。いつでも直ぐ戦いに出られるように。
 それでも寝るときくらいはジャージに着替えている。その間にヒーロースーツを洗って乾かしているからだ。
 階段を静かに駆け下りる。寮内は静かなものだ。まだ皆寝ているだろう。疲れている奴らを起こさない方が良い。あいつも何故こんな時間に起きて外に居るんだか、ちゃんと寝たのかと考えるが、存外早寝の男だ。爆豪とて似たようなものだが。
 一階へたどり着き、そのまま外へ出る。
 上から見た位置に、すでに轟は居なかった。追いかけてきたって言うのにあいつどこへ行きやがった。ぐるりと見渡して眉を寄せる。
 追いかけてきた、ってなんだ。
 外を出歩いている人影は他にない。少し探せばパトロールで巡回しているヒーローが見つかるだろうが、それくらいだろう。早起きの老人が散歩するにしても早い。その上、のんきに散歩しようという空気も今はない。
 後頭部をかく。
 ここで立ち止まっているのも、だからといって部屋に戻るのも、なんとなく癪だ。せっかくだ走るか、とストレッチを始める。ぐっと体を伸ばし、ゆっくりと走り出す。
 こんな時でも夜明け前の空気はひんやりとして、静かで、走るには心地良い。一定のリズムで地面を踏み続けていると、頭が空になるような、逆に考えがごちゃごちゃと沸いてくるような、妙な気分だった。
 追いかけてきた。
 追いかけたかったか。置いていかれてんのか。別にそうじゃねえな。探しに来た。なんでだ。気になった。否定しがたい。気になる。なんで気になるんだ。ずっとそうだ。あいつ。目でつい追ってしまう。そうじゃない。たまたまそこに居る。やけに視界に映る。知ったら気になるだろ。あんなややこしい事情とか。全部が全部そうだろうか。あいつだから。芯が強いくせに天然で。
 だからなんでだ。
「爆豪」
 急に声をかけられて、びくりと肩が揺れた。
 考え事に没頭しすぎていた。没頭ってなんでだよ、と舌打ちしたい気持ちを抑え、驚いてすらいないように振り返る。
 探していためでたい色の男が、いつもに比べて多少目を丸くして背後に立っていた。いや、走っている。爆豪が足を止めていないので、ついてくるように走っていた。
「爆豪も走ってんのか?」
「まあな」
 まじまじと轟の姿を眺める。
 ムカつくことに背丈は爆豪よりあり、さらに近頃がたいもよくなってきていた。そこにぼんやり血筋を感じる。しかし何故か、丸いなこいつ、という感想が前にくるのでおかしなものだ。頭か。顔か。
 にしたって、探していたヤツが何で後ろから来たのか。いや探していないが。走っていたなら、爆豪がストレッチをしている間に寮周りを一周して戻ってきただけか。
 追いつかれたって、ランニングとはいえ速さで負けていたってかと対抗心が燃えかけたが、轟のことなので、こちらの姿が見えたので速度を上げて駆けよってきただけのことだろう。
 まあいいか、と外した視線を追いかけるように、轟が歩幅を広げとなりに並んできた。
「一緒に走るか?」
「もう勝手に並んでんじゃねーかよ」
「いいってことだな」
 横目に見た轟は笑っていた。
 馴れ馴れしい。無遠慮。とか言葉がよぎるが、こいつの場合は多分、人懐っこいだ。そのくせ適当に人をあしらうこともあるので、一応の好き嫌いはあるとみえる。
 その轟が、爆豪に対して妙に親しげであることが、度々分からない。親しげ、いや、仲が良いと思っているのか。仲が良い奴が見えたから駆け寄ってきて、となりを走っているのか。
 こいつの仲が良いもよく分からない。あしらっても気にした様子がない。心底嫌だと思っているのではないと察しているから気にしないのか。こいつにそんな機微が分かるわけがあるか。大体心底嫌ではないってなんだ。まあそうなのだが。
 嫌なら今でも振り切っている。それでも轟は食らいついてきそうだが。
 地面を踏む音が重なる。同じ速度で、並んで走っているから当然か。それが何故かこそばゆい。けれど心地良かった。
「爆豪と朝のランニングかぶるの久しぶりだな」
「……あー」
 前は確かに、たまにあった。
 それも数えるほどだが、こういう状況になってからは初めてだ。あの時もこうして少し並んで走って、早々にランニングを切り上げて部屋に戻ったはずだ。
「今日はどうしたんだ、寝れなかったのか?」
「目が覚めただけだ」
 二度寝する気分でもなかったしな。と小さくつけ加えると「そうか」と頷いた。
 お前を見かけて降りてきた、とはとても言えない。なぜ降りてきたのか自分でもよく分かっていない。いや、分かっているのか。たぶん、大体分かっている。
 ふと先ほどの言い方に違和感を覚えて横を向く。走りにあわせて轟の白い髪が揺れていた。
「テメェ、いっつもこんな時間に走ってンのか」
 今日はって、爆豪がいつもこの時間に居ないと知っていたかのようではないか。
 どうやら当たりのようで、轟は小さく肯定した。
「この時間ってまだ全然人居ねぇし」
「みてェだな」
 人の居ない時間を選んで走っている事実に、表現しがたい感情がふっと湧く。腹が立つようなやるせないような、やはりムカつくような。外はヴィランでめちゃくちゃで、誰しも気が立っているのだから仕方が無いと、割り切りきれない思いがじわりとにじむ。
 だからといって、口出しをするような立場でもない。それにこいつは困っていない。今口を挟むのは余計なお世話も良いところだ。本当にそうかと考えて、何がだよと内心に反論する。朝早くスパッと目が覚めた割に、思考が散漫だ。
 それもこれもこいつのせいだなと、轟を見る。
「それに涼しい」
「は?」
「この時間。まだ涼しいだろ」
「涼しいどころか寒ィくらいだわ」
「ああ、爆豪寒いの苦手だもんな。それなのにこの時間に走ってんのか?」
「苦手じゃねェわ!」
「火出すか?」
「気遣ってんじゃねぇ!」
 人の気も知らないで、と言いそうになって飲み込む。どんな気だよ。
 言い返せば轟は不思議そうに首をかしげたあと、ささやかに笑った。普通に笑っただけかもしれないが、あまり顔が変わらないのでそう見える。よく見なければ気づかないくらいだ。
 轟の純粋な気遣いが的外れであることはままあるが、そのときは不思議そうにしているばかりだ。笑っていると言うことは、このやりとりを面白がってもいるらしい。成長しているのか、なんなのか。轟が笑い出すと怒る気がいくらか失せる。やりづらいような、そうでもないような。調子が狂う、が一番近いように思う。
「あとな、鳥とか鳴いてんだ。昼間だと気づかねぇけど、結構居るんだな」
「まあ、木ィ植わってっからな」
 もしかすると、鳥もこちらへ逃げてきているのだろうか。外はあちこち破壊されているし、ヴィランは暴れ回っているし、鳥とておちおち寝ていられない可能性はある。人間以外も大変なことだ。元々この辺りに住み着いていたやつかもしれないが。
「チュンチュン鳴いてるのがスズメだろ」
「ブッ!」
 シシッと思わず吹き出す。
 チュンチュン言う轟という存在に耐えられなかった。歩調が乱れる。轟が「どうしてむせているんだ大丈夫か」という顔でこちらをのぞき込んでくるから余計に笑えてしまう。
「ッハ、んでなんだ、カーカー言ってんのがカラスかよ」
「そんくらい知ってんぞ」
「チュンチュンも知ってんだわ」
「む……じゃあ知ってるか爆豪、ホーホーって鳴いてんのはフクロウじゃねえんだ」
「だとしてフクロウはこんな時間に鳴いてねェだろ」
 笑ったせいで乱れた息を整えるべく、深呼吸を繰り返す。ただ走るだけでは息なんて乱れないので、こいつと走ると変にトレーニングになるかもな、なんて思う。
「つか、ンだよその知識」
 わざわざ調べたのかよ、と聞くと轟は首を振った。
「その辺のベンチにいたお爺さんが教えてくれた」
「早起きにも程があンだろ」
「俺もびっくりした。一瞬幽霊かと思っちまったし。思わず立ち止まったら急に鳥の鳴き声のこと教えてくれて、つい聞いちまった。幽霊と勘違いしちまったし」
「NPCかよ」
「えぬ……?」
 案の定、轟には通じなかったがまあいい。
 近づくと鳥の鳴き声の説明を始めるNPCのジジィの話は、何かの時に他のヤツにでも話してみるか。
「今日はいねェんか」
「あのお爺さんはもうちょっと遅い時間だ。あと三十分くらいすると起きてくると思う」
「にしても早ェな」
 その爺さんに会わないようさらに早い時間に走るようになったのか、と一瞬疑ったが違った。
「少し寝坊しちまうと会うんだが、会うたび別の鳥の話をしてくれるぞ」
「会話コンプしたら消えそうだな」
「え、会いすぎると、お爺さん消えちまうのか?」
「ハッ!」
「寝坊しねぇように気をつけねえと」
「冗談だわ。コンプしたら最初に戻るんじゃねえの」
「またスズメからか?」
「結構会ってんじゃねえか」
 存外楽しげな早朝ランニングとみえて、勝手に笑う。
 楽しいなら、それに越したことはない。楽しかったのバリエーションが少ない奴だから余計に。楽しいことが増えれば良いよな、なんて一体どういう感情なのか。
 轟を見る。ひっそりとのぞき見る。
 不思議そうに首を傾け、小さく瞬きを繰り返していた。足下はまだ暗い。空の端からうっすらと漏れ出した朝が、表情を映し出している。街灯の下を通るときだけはっきりと映る。
 二人分の足音が規則正しく続き、時折重なり、またズレて、それを繰り返す。見える建物のどの窓も、ほとんどが真っ暗だ。たまに明かりがついている。早起きなのか、遅寝なのか。
 今ここだけは静かだ。そんな気がする。ごちゃごちゃと頭を渦巻く様々な考えも、となりを走る轟の挙動に吸われて、いっそ平和なくらいだ。さてどうだか。チュンチュン言っているくらいなのだから、たぶん平和なのだろう。
 ぱっと明るくなった轟の顔と、目が合った。
 街灯の下だった。
 気づけばまじまじと見ていて、それに気づいた轟がこちらを向いていた。色違いの瞳が爆豪を見ている。どうしたんだ、なにか顔についてんのか、とでも言いたげな瞬きにあわせて、まつげが揺れる。
 街灯の下を通り抜け、またうっすらとした暗がりに戻る。はっとして視線をそらし前を向く。遠くに自販機が見えた。
「おい轟。こっからあの自販機まで競争な」
「えっ」
「ンで、負けた方が奢り」
 いいな。と轟を見ると、今日一目を丸くしていた。まん丸だ。面白い。つい笑う。
「はっ、え、個性は」
「ナシに決まってンだろ、いいか三、二」
 一、を言い切って、ぐっと踏み出す。
 こういう踏み切りも、溜めと放出に少し似ている。「おい!」と轟の焦った声が、ほんのわずか斜め後ろから聞こえる。戸惑っているくせに、ちゃんと着いてきていた。
 夜明け前のひやりとした空気の中、ひたすらに足を踏み出す。軽いランニングで体は温まっていた。個性を最大限振り回すにはまだ足りないが、全力疾走するには十分だ。足音が追いかけてくる。自販機までは百メートルと言ったところか。
 あっという間に駆け抜けて、自販機の赤い側面をパッと叩いた。
「俺の勝ち!」
 一瞬遅れて轟が到着する。「クソ」の悪態をついて自販機に触れる。大きく息を吸い込みながら「ハッ」と笑う。轟はむっと唇を尖らせて、はあと息を吐き出すと腰に手をついた。
「爆豪って、すげぇ大人びたかと思ったら、子どもみてぇに負けず嫌いだよな」
「何と言おうが俺の勝ちだわ」
「爆豪が急に笑うから、びっくりして出遅れただけだ。次は負けねぇ」
 意外と負けず嫌いの轟が食い下がってくる。「次も俺が勝つに決まってンだろうが」と返しながら、今妙なことを言ったよなこいつと反すうする。
 じとっと改めて轟を観察するが、目立って変な顔はしていなかった。また目が合う。轟はそれをジュース奢りの催促と取った用で、困ったようにポケットを叩いた。
「悪ィが財布は持ってきてねぇ」
「ハ、マジかよ。しゃあねえなツケだかんな」
 ポケットからランニング用の小さい財布を取り出す。大した額は入っていないが、ほぼ入れっぱなしにしてある。とっさに飛び出して困らないようにと考えていたものだが、こういう使い方をするとは思っていなかった。
 硬貨を数枚取り出して、自販機に押し込む。ランプの全てが瞬くように光った。
「用意いいな、爆豪」
「外出るなら持っとけ」
「敷地内だしいいかって置いてきた」
「このまま飛び出すことになったらどうすんだよ」
「そりゃそうだが」
 実際、ヒーロースーツに着替える間もなく出て行かないと行けない、なんてことはまず無い。パトロールもシフトが組まれている。それにこれでもまだ学生だ。先にプロが出る。
 自販機のランプに品切れの文字はない。敷地外の自販機はきっと様々な理由で全滅しているだろうが、この中は無事だった。
 一瞬考えてから、サイダーのボタンを二回押した。「あ」という轟の声とともに、ガコンと缶が落ちてくる。
「選ばせてくれねぇのかよ」
「負けといて何言ってんだ」
「ズリィぞ」
 商品取り出し口からサイダーの缶を二つ取り出し「おらよ」と軽く投げ渡す。冷たい缶は爆豪の手を離れ、危なげの無い手つきで轟が受け取った。
「ア? まさか炭酸飲めねぇのか」
「飲める」
「ンじゃいいじゃねえか」
「まあそうだな。ありがとな爆豪」
「ツケだっつの」
 自販機はあるがベンチはなかったので、近くの花壇の縁に並んで腰掛けた。プルタブを引けば、カシュッと音が鳴る。炭酸がふっと抜けて、缶の口元で白い湯気のように漂っていた。
「炭酸久々に飲んだかもしれねぇ」
「マジかよ」
「爆豪はよく飲むのか」
「たまに」
 といっても、やはり久々かもしれない。最近飲んだという覚えはなかった。こうしてぼうっと座る時間すら、久しぶりに思える。
 まだ世界全体が寝静まっているようで、時間が止まっている錯覚すら覚える。これはさすがに言い過ぎか。それでも確かに、いつもよりゆっくりと感じる。
 見れば轟はサイダーをちまちま飲んでいた。
 蕎麦以外の食べ物は総じて一口が小さいが、缶ジュースでもそれは一緒なのか。炭酸も飲めるだけで得意でなかったのか。別の物にしてやればよかったか。といっても、好きな飲み物までは知らなかった。緑茶を飲んでいるところをよく見るくらいだ。あれを好きというかは多少怪しい。
 喉仏が小さく動く。傾けていた缶を膝の上に下ろした轟は、ぼんやりと目の前の景色を眺めていた。誰が歩いているでもない。例の鳥の鳴き声爺さんがいるでもない。
「クリームソーダ飲みてぇな」
「あ?」
「ソーダの上に、アイス乗ってるやつだ」
「そんくらい知っとるわ。急になんだ」
「いや、なんとなくだ」
 あっそ。と答えて缶に口を付ける。ひやりとした空気の中で飲む冷えたサイダーがしみる。炭酸がシュワシュワと喉奥へ飲み込まれる。
 クリームソーダか、と色つきのサイダーの上に載せられた、丸いバニラアイスを思い浮かべる。あれも丸いな、こいつも丸いが。どうだか、ソフトクリームの場合もあるか。
「あれ、アイス食うかサイダー飲むか、悩むよな」
「悩まねェ」
「そうか?」
 アイスも最近食べていないなと思い返す。ほんの一年前は、学校帰りにアイスを買い食いして家まで帰っていたというのに。
 こいつは多分、ほんの半年ちょっと前までそういうことをしていなかったのだろうな、と勝手に予想する。補講帰りにコンビニで買い食いした肉まんを思い出す。同じの食ってたなこいつ。たぶんレジで爆豪の後ろに並んでいたからだ。
「ンじゃ行くか」
 今度。と言うと、轟がこちらを見て目を瞬かせた。
「今度?」
「店開いたら」
 今時のんきにクリームソーダを出している店も限られるだろうし、そこへ出かけていく時間だって当然ない。その意味はどうやら正しく伝わったらしく「いいな、楽しみだ」と言って轟がふっと微笑んだ。
「覚えとけよ」と指をさして、サイダーをあおる。
「ちゃんと覚えとく」とはっきりと頷いて、同じように缶に口を付けた。
 俺にとってこいつはなんだろうな。
 たまに考える。ふっと思考の隙間が生まれた時だとか、こうして顔を見ている時だとかに。考えるたび、多分もう分かりきったことなのだろうなと思っては、結論を保留にしている。
 お互い手一杯だ。
 特にこいつは殊更そうだ。抱えたものはあまりに多く大きく、よく歩けているものだと目で追う程だ。天然のくせに図太くて、それでいて確かにヒーローだった。こっちが心配することなどろくにありもしない。
 ふと、その横顔に触れたくなる。
 右頬と左頬は同じ温度してんのか、だとか、意味の無い思考がよぎる。触りたいという欲求を、探究心で誤魔化したみたいな考えだ。
 素直にそう伝えたらこいつどうすんだろうな。多分普通に頬を差し出すだけだろうな。第一素直ってなんだ。まあそういうことだが。
 こいつに向ける感情の解体など、単純なもので、あっという間に終わってしまう。
 ただ今それを抱えて歩くには、やはり手一杯だ。何より、誰より手一杯だろうこいつに、これ以上なにかを持たせたくなかった。持たせたことで、こいつの足しになれると思うほど、まだ自惚れられていない。いつかはそうなればいい、だが今はまだそうじゃない。
 サイダーの缶を空にして、振り返る。自販機の横に備え付けられていたくずカゴめがけて放ると「おい」とたしなめる声に続き、カツンと収まりの良い音がした。
 ふふん、と轟を振り返ると、呆れたような感心したような、どちらとも言えない表情をしていた。「まだ飲んでんのか」と聞くと、最後の一口をあおった。あご先でくずカゴを示してやると、一瞬の逡巡の末、轟が振りかぶる。
 柔らかな放物線を描いて、空になったサイダーの缶は爆豪が放った缶と同じ場所に、音を立てて落ち着いた。
 この程度の距離、外すとも思っていないが。
「戻るか」と言って立ち上がる。
 気づけば空の端で陽が顔をのぞかせていた。朝日が目に染みる。
「そろそろ朝飯だな」と立った轟を「まだ早ェだろうが」と鼻で笑う。そこからは走らず、歩いて寮まで戻った。
 足元も陽の光が照らしている。影がうっすらと長く伸び始めていた。どこからともなくいろいろな音が聞こえてきて、人が起き始めた気配を感じる。鳥の鳴き声爺さんに出くわすかと思ったが、そんなこともなかった。出現場所が違うのだろう。
 この戦いが終わったら、あれもこれも、クリームソーダでも飲みながらゆっくり考えよう。
「これが終わったら、もう少しゆっくり話してぇな」
 ふと轟がそんなことを言った。考えでも読まれているのかと驚くようなタイミングだった。それとも今は、そういうことが頭をよぎるような空気なのだろうか。
 寮まで戻る、ほんのわずかな帰り道。
 見た轟は前を向いていた。朝日を反射する瞳が光って見える。なんてことない独り言みたいな顔をしていたくせに、ふと目が合うと途端に照れくさそうに眉を動かした。つられてこちらまで小っ恥ずかしくなる。
 ポケットに両手を押し込んで、大股に一歩を踏み出した。
「ンなもん、いくらんでもあんだろ」