「さあ、お話し合いをしましょう」
まさか、バラ園の真ん中に気まぐれに置いたテーブルに、私と私の使い魔以外の誰かが座る日がくるとは思わなかった。
赤いマントに赤いハット、癖のある銀色の髪、昼の空の瞳。人の子がちょこんと席につき、私の姿を見上げている。
近年ではこの城を同胞が訪ねてくることすら珍しい。人の子などもってのほか。手癖のように出してしまったカップケーキは本来使い魔のおやつになるものだった。「すまないね」と頂戴して皿に盛りつけたとき、自分のおやつが取られたというのに妙に面白そうにしていた。あの子はなにを勘違いしているのだか。
私は吸血鬼。この青年は人の子。
それも「吸血鬼退治人のロナルドですわ」と名乗った。
そうつまり、私と敵対するもの。
「なにを話し合うというのかな」
ティーカップに紅茶を注ぐかたわら一瞥する。
赤を基調に十字をあしらった洋服は、吸血鬼退治人の衣装だろう。使い込まれたブーツを見るに、よく歩き回っているのだと知れる。それなのに武器の一つも見当たらない。二百年あまりの吸血鬼生、仕込み武器も見慣れたものだ。つまり、隠しているわけではない。
それでよく、ここに来たものだ。
ティーカップを差し出せば「頂戴しますわ」と微笑みが返ってくる。いっそ得体が知れない。
ロナルドはカップをうやうやしく摘み上げると、ふーっと息を吹きかけ口をつけた。
「変わったお味ですわ」
「バラを使った私特製のフレーバーティーですよ。お口に合いませんでしたかな」
「いいえ、とっても美味しいです」
カップを置くと、ロナルドは目を伏せて指を組んだ。それから「悩ましいですわね」とはにかむ。
「こうしてお話を聞いてもらったのは、初めてですの。何からお話したらよろしいのでしょう」
「……まさか君、他の吸血鬼相手にも同じことを?」
「ええ。大抵聞いて頂けませんけれど」
「よく、今まで無事だったものだね」
吸血鬼と人は相いれないもの、というのが歴史である。我らは人の血を啜るのだから当然。だからこそ吸血鬼退治が人の職業として成り立っている。そしてロナルドも退治人を名乗った。
おかしな人の子を前に、椅子を引き腰をかける。
「私腕っぷしも強いんですの」
問題ありませんわと、両の拳を握る姿を見る。まったく強そうには見えない仕草だが、服越しにもその体が鍛え上げられていると分かる。それよりも先ほど「たのもうですわ!」と正面玄関の扉を破壊していたことが、なによりの強さの査証だろう。「ごめんなさい、お引き戸でしたのね」と、光が入らないよう分厚く作った扉を素手で抱え、壁に立てかけていた。蝶番から破壊されていたので直すのが面倒そうだ。部品調達から始めなくてはいけない。
おかげでこのバラ園に通すことになった。そもそもあの城の中は、人の子には暗すぎる。埃をかぶった燭台の元では、何も見えやしないだろう。
最も、あの段階で追い返すべきだったのかもしれないが。
もてなしは吸血鬼の性。
しかしこの青年の血を吸いたいと思っているでもない。退治人を名乗ったのだから生かしてはおけないと考えたでもない。
ただ来客が珍しかった。それだけだ。そう、それだけ。
「腕っぷしも強い退治人なのに、話し合いがしたいのかい」
矛盾しているねと言えば、ロナルドはティーカップの中をのぞきこむ。
「お暴力なんてお野蛮ですわ。ですが退治人でなければ、吸血鬼の皆さんとお話し合いには行けませんのよ」
お庶民は避難がさだめですもの。
そう答えてカップケーキに手を伸ばした。端からぱくりと一口かじれば、途端に目を輝かせる。いつも使い魔ばかりに食べさせていたが、人の子でも美味しいのかと思うと満たされる畏怖がある。
しかし褒められたことではない。
あっという間に一つ目を平らげたロナルドを見て、片眉を持ち上げる。
「君はもう少し警戒をするべきだ。紅茶もなにも確認せずに飲んだろう。毒が入っていたらどうするというのだ」
腕っぷしの強さは毒の耐性に結びつかない。吸血鬼である私が人の子をたしなめるなどおかしなものだが、それでも無防備だと言わざるを得ない。
ロナルドは口のはじについていたカップケーキの欠片をぬぐってから、こちらを見た。
「私をお殺しになりたいのでしたら、もうおやりになられているのでは? そうでしょう、真祖にして無敵の吸血鬼さん」
なにをおかしなことをと笑ってみせる。
これにはなんの反論もなく、肩をすくめる。
殺したいのなら、破壊した扉を抱えている間にでも、暗闇に紛れて噛みついてしまえばよかった。わざわざ毒を仕込む理由はない。生憎私はそういう死に様を見ることを好む変態でもない。
「皆さん、貴方を怖がられますわ」
「そのようだね」
おかげで誰も近づいて来やしない。来訪者が居ないのはそのためだ。誇張とも言えない肩書は独り歩きを続け、人からも吸血鬼からも距離を取られて久しい。
「ですから、私とお話し合いをしましょう」
顔を上げた先の光に目がくらむ。
思わず目を細めた。根拠のない自信のもとにお話し合いを提案する青年のまばゆいこと。
若さに苦笑するように、ティーカップを持ち上げる。温く飲みやすくなったバラのフレーバーティーは、当然私好みの味だった。
「それを食べたら帰りなさい」
皿の上のカップケーキを示して促すも、ロナルドは首を振った。
「帰りませんわ」
「ここで私たちが話し合ったとして、なんになるというんだ」
そもそも何を話したいというのか。しったところで、聞く由もないもないが。
ロナルドが静かに、しかし真っすぐにこちらを見ていた。先ほどまでよりわずかに温度の下がった瞳に目を見張る。突き放した言い方だったろうか。いや気遣ったとして何になるというのか。
私は真祖にして無敵の吸血鬼、彼は吸血鬼退治人のただの人の子。
ふっと青い視線が思案するように逸れたのち、再び私をみたとき眼差しに強い意志が灯っていた。
「実は私、先日お家が爆発して吹き飛びましたの」
「今なんと?」
「なのでこのままここに住みつかせていただきますわ! そうしたらたくさんお話しもできますでしょう」
名案ですわね。と大輪に微笑みかけられ、あまりの理解の及ばなさに思わず死んだ。
全身が砂になり椅子から零れ落ちると同時に「キャー!」という叫び声が降ってくる。
どうすると家が爆発して吹き飛ぶのだ。
どうして初対面の吸血鬼の家に住み着くことを名案と呼ぶのか。
どうしてそうも無防備なのか。
それもとももしや外の世界では大層な事件が起きていて、この青年はとんでもない事態の只中にいるのか。
砂になった私の気など知らぬようにロナルドは戸惑った末、残っていたカップケーキを差し出し拝むように手を合わせた。十字をあしらった衣装をまとっているくせに十字の一つも切らないのか。
「やめてくれないか」
供え物なんて。
体を戻しながら見上げたロナルドは、先ほどの叫び声など嘘のように平然としていた。
「あら、ご無事で」
「こういう体質でね」
「そうなんですの。お可愛らしいですね」
危うくもう一度死ぬところだった。
指の先が崩れかけたのを気づかぬふりをして目を伏せる。
「ところでこちら、頂いても?」
供えたカップケーキを指さして、ロナルドが首を傾けていた。
痛む気がする額を押さえながら、そっと押し返す。
「もとより君の物だよ」