(五夏/幽霊の灰原と夏油)
僕の名前は灰原雄。
まで考えて、はてこの先どう続けようかと首をひねる。せっかくだし名乗りでも考えようかと思ったのだが、死んで十年になるとか、七海の頭上で幽霊を十年やっているとか、そういうことしか紹介できるものがない。さすがにちょっとあんまりかも、と考え直す。あとは生前呪術師をやっていたとか、だいたいそんな感じだ。
七海の上下左右に居たり居なかったりしながら、日々を過ごしている。時間の流れを感じないのに、過ごすという表現は果たして適切なものだろうか。僕はずっと同じところに立っているのに、周りだけ時間が流れていく。同級生だった七海も、今やいい大人だ。
そんなこんなで今日は、高専のある建物の屋根の上に居た。
下では七海と五条さんと家入さんが話している。邪魔だから出てきたというわけではなく、となりに居る最近増えた幽霊仲間に呼ばれてここに上がってきた。
袈裟姿の夏油さんが、屋根の上にちょこんと体育座りをしている。
屋根が三角なのであぐらをかきづらかったのだろう。そうは言うけれど僕たち幽霊は何でもすり抜けてしまうので、本当は座っていない。屋根っぽいあたりに停止しているだけだ。夏油さんはきれいに座っているように見えるけれど、僕は本当はお尻が半分くらい屋根にめり込んでいる可能性がある。それでも全然困らないのだけれど。
「ところで灰原って、どうして七海に取り憑いているかの記憶ってあるの?」
「ははあ!」
なるほど、と手を叩く。それが聞きたくて呼び出されたのか。七海には僕たちの姿が見えるし会話も聞こえてしまうので、隠し事が出来ない。
そうですねえ、とそれっぽくあごをさする。何でもすり抜けるけれど、自分にだけは触ることが出来た。
ちなみに幽霊同士もすり抜けるので、僕と夏油さんは合体技が出来る。顔に目が四個あるように装ったり、腕が四本あるように振る舞ったりも出来るはずだが、検討段階で七海に「よしてください」と真剣なトーンで言われたので未実行だ。夏油さんは「夜中にやろう」と真剣な顔で悪巧みをしていたが、運良くなのか悪くなのか、夜中に二人が近くに居ることがないので計画に移せないでいる。僕たちは取り憑いている相手からあまり離れられないので。
「僕は死に際七海に、あとは任せた! してしまったので、見届けている感じですね。たぶんですけど」
「義理堅いねぇ」
「それほどでも!」
「でも、なるほど。わかりやすい理由だ」
「これは七海には言えないですけどね。気にしそうなので。そういう夏油さんは?」
「それがさっぱり心当たりがないんだよね。だから灰原を呼び出して聞いているんだけど」
「おや」
死に際に五条さんとなにかあったのでは、と考えるところだが、どうやら違うらしい。なにかあったにはあったそうだが、とても羨ましげな感じで話していた。内緒らしい。照れ屋さんが隠すプロポーズの言葉みたいだ。
「ご覧の通り、悟は見届けないと困る感じでもないだろ?」
「たしかに。いや、どうでしょうか。この前すごくしょうも無い手紙を七海に渡していましたよね」
「ンン、あの蛮行を止めろというなら見守る理由になりそうだけれど、あいにく私は悟に見えないしね」
ふう、と頬杖をつく横顔を眺める。
僕たちは実体がなければ心臓もないし呼吸もしていないはずなのだけれど、何故かため息を吐ける。声も発しているけれど、七海以外には聞こえないので、多分実際に音を出しているわけではないのだと思う。たぶんだけれど。
「やっぱり、さみしいですか? 見えないのって」
「いや全然」
「そういうものですか」
「ただ、七海と違ってからかいがいが無いのは残念だよ」
「七海をからかうのはほどほどにしてあげてくださいね。五条さんからの被害も受けているので!」
「被害レベルが同等なのはショックだよ」
七海の心労具合で比べると、多分同等だ。いや実害という意味では五条さんのほうが上かもしれないけれど。
「見えないことが当然だと思っていたから、七海にだけ見えることにむしろ驚いているんだよね。なんだろうね、波長とかあるのかな」
「七海と夏油さんに通じる波長……?」
「そう言われると無さそうだね」
「好きな食べ物とかも違いますしね」
「ははっ!」
僕は米だし、七海はパンだし、夏油さんは蕎麦だ。主食レベルのバラバラさだ。五条さんの好きな食べ物は甘い物全般なので、どちらかといえばデザート。つまり主食とデザートの違い! と閃くも、それならもっと他の人にも見えているはずだ。せめてラーメンが好物の誰か。
ううんと唸ると「なにか面白いこと考えていなかった?」と夏油さんに聞かれたので、素直に話したところ腹を抱えて笑われた。笑いを取れたので良しとしよう。
引き笑いをしたあと夏油さんは居住まいを正し、最後にふふっと笑った。
「まあ、私達は幽霊を自称しているけれど、本当にそうかも分からないしね」
「そうですね! 呪いではないことは確定、くらいしか分かんないですもんね」
「呪いなら真っ先に悟に見えるはずだからね。ならなんだろうね、なにかに残った記憶とか未練とか、そういった残滓にすぎないんだろうか。それとも本当に、七海が見ている幻覚なのか」
「そうすると、夏油さんが見える理由がないんですよね」
「それなんだ」
近頃七海もその線で困惑している様子がある。
僕のことをずっと自分に都合の良い幻覚だと思って過ごしていたので、夏油さんが現れた理由が分からないし、知らないはずの情報を話すものだから、もしかして幻覚ではないのかもしれない、と再考し始めている。僕は正直、どちらでもいいのだけれど。
「あっ! そういえば、七海は脇の下にホクロがありますよ」
「えっどうしたんだ急に」
「前に五条さんのお尻にホクロがあるって教えて貰ったので。一方的に知るのもフェアじゃないかなって思いました」
「それ、七海怒らない?」
「あっ、内緒にしてください」
「ははっ! 良いよ。言う機会もないし」
「もし五条さんに幻覚か疑われたら、この話をしてください」
「来るかなそんな機会」
「急に見えるかもしれないですし」
「そうだね。覚えておくよ」
ところで脇の下のホクロなんていつ見たの。とひっそりと問いかけられて「家だとわりと見ます」とこっそりと答えた。「ああ」と納得される。
お風呂上がりだとか、髪を拭いているときによく見える。着替えの時にもちょこちょこだ。さすがに十年もくっついていると、ホクロが目につくこともある。
ちなみにお風呂をのぞいたことはない。いくら僕が幽霊でも、プライバシーには配慮する。七海相手には見えるのだし。これは見えていない相手のお風呂ならのぞくという話では勿論ない。
ふと見ると、夏油さんが笑っていた。
「何笑いですか?」
「うわ、顔に出てた? いやね、急に私が見えるようになったりしたら、さすがの悟も驚くだろうなーと思って」
「それは、驚くでしょうね!」
「灰原はどうだった? 最初に七海の前に顔を出したとき」
「疲れているんだと思われて寝られました!」
「想像つくね!」
幽霊になって初めて気づいたとき、そこは七海の部屋だった。
げっそりとやつれた七海が部屋に戻ってきて、目が合った。僕はびっくりしたし、七海も目を剥いていた。目が合っているよねこれは、と手を振ったところ、目頭をもんだ七海は「疲れてるな」と独り言をつぶやいて、シャワーも浴びずにベッドに横になってしまった。
僕はその寝顔を眺めて夜を明かし、早朝に目を覚ました七海と再び目が合って「まだ早いしもうちょっと寝たら?」と声をかけたら本当に二度寝していた。懐かしい。
「なんだかんだあって、大体スルーされるようになりましたね」
「すごくきらびやかな思い出を話すように言うけれど、やっぱり幻覚だと思われているじゃないか」
「ですね! でも七海優しいんですよ。姿を見せるなとか言われたことないですし」
「そうなんだ。それは凄い、気がするね」
「消えてくれって言われたら、どうやってバレないように七海の周囲に居るかも頑張って考えたんですけどね。今のところ使わずに済んでます」
地面に潜んだり、屋根裏に隠れたり、ベランダの影に隠れてみたり、と色々考えていたが使わずに済んでいる。
こうして会議中だとかに席を外すのなんて、少し壁の向こうに行くだけでいいから楽ちんなものだ。七海に見つかってもいいのだし。
「その点でいくと私はかなり楽だね。見えていないから何していてもバレないし」
「すり抜けしているのは七海引いていましたよ」
「灰原は本当にやったことないんだね」
「なんか怖いじゃないですか」
七海が壁の先にいると知らず、うっかりぶつかったことはあるけれど、それだけだ。
ぶつかったと言っても幽霊なので、めり込んだだとかすり抜けただとかそういう感じに近い。けれどなんとなくゾッとしなかったので気をつけている。壁から顔を出すときは、左右指さし確認だ。とすると、天井から降りていく方が確実になる。
「ううん」とふと夏油が唸った。
見ると頬杖をついて目を閉じている。
「改めて思ったのだけれど、どうして悟なんだろうね」
「取り憑き先がですか?」
「そう。心配という点では家族の方が心配だよ。まあ、皆上手くやってくれているはずなのだけれど」
「そう言われると、僕も妹の方が心配かもです」
「妹さんも呪いが見えるんだったよね」
「そうです」
「いやー、分からないね。呪霊は色々見たけど、幽霊は知らないからなあ」
他に共通点があったかな、と考え込み指を鳴らす。
「あっ、死んだ時近くに居たからとか」
「一番それっぽいね」
「それだけ? って感じもしますけど」
「まあねえ」
といっても、これでは七海にしか見えない理屈は説明できない。他にも幽霊が居たら分かるかもしれないが、十年経って増えた仲間は夏油さん一人だ。先が思いやられる。困ってはいないのだけれど。
他に何かあるかなと、死んだ時に近くに居たを一として、二以降を数えるべく指を折る。思いつかずに開いて、また折ってを繰り返す。
「そういえば、夏油さんから見た五条さんの良いところってどこですか?」
「えっ急だな。まあそうだね、家柄、資産、顔かな」
「それは、一般的に見ても褒められるところでは」
「くくっ」
「もしかして好きなところを言うのって結構恥ずかしい感じですか? 他にもありますよね、思ったより一途とか」
「えっ、一途に見えるの」
「違うんですか?」
あれで? と聞き返すと夏油さんは額を押さえてしまった。むぐむぐ唸っているので、照れているのかもしれない。それとも審議しているのだろうか。
僕から見たらあんなに一途なこともないだうに、というくらいあからさまだ。五条さんの姿を見ていると、時々夏油さんの影がちらつく程だ。
まあ僕はかれこれ十年幽霊をやっているので、色々客観的に見られているのかもしれない。なにせ死んでいるため拘ることもなければ、僕自身の存在がかなり希薄なので。
こういうのも取り憑く条件かなと考えて指を折る。けれどそれと僕と七海を比較して、はて同じと言えるほどだろうかと指を開く。
「あ、五条さん出てきましたよ」
「……本当だ硝子と一緒だね。あれ、七海は」
「七海はまだ中ですね。この後別の人と会うって言っていました」
「そうなんだ。悟はこの後任務で出掛ける予定になっているから、今日はここでお別れだね」
「はい、ではまた」
「じゃあね」
軽く手を振って夏油さんが姿を消す。次の瞬間には五条さんの頭上に浮いていた。器用な人だ。幽霊の体を思うがままにしている。
僕もするりと屋根を抜け、七海がいる部屋に顔を出す。七海の他には誰も居なかった。空いたソファの一席に、それっぽく座ると、七海の目線が僕を見た。
「夏油さんは五条さんと出かけたよ」
返事はないことを承知で報告すると、瞬きが一度返ってくる。
こういうさりげない、聞いていますよ、という仕草をくれるだけで嬉しいし十分なのだけれど、七海はちょっとだけ気にするらしい。
「そうですか」と小さな返事があって、僕はパッと笑う。
「そうなんです」
相槌を打てば、なにかが七海のツボに入ってしまったらしく小さく吹き出して、次の瞬間部屋に入ってきた補助監督に対し、咳払いをする羽目になっていた。