初めての嫉妬

(爆轟)
 
 
 
 
 

「めんどくせェこと言ってもいいか」
 取り分けただし巻き卵に、大根おろしを乗せながら、轟が言った。視線は箸の先に向いていて、声色はいつもより多少浮ついている。それが、面倒くさいことを言わんとする動揺からくるものなのか、ビールジョッキを空にしさらに日本酒のグラスの中身も半分に減っているせいなのかは分からない。
「なんだよ」
 すでに酔っぱらっているのかもしれない轟に向け、まだ大して酔っていない爆豪が言う。
 爆豪の手元のジョッキには、少しのビールが残っていた。これを飲み干し、メニューに目を滑らせ、ハイボールを注文する。
 メニュー数の多い居酒屋ではなかった。仕事帰りに予約もなくふらっと入れた、間仕切りのある店なので、それはしかたがない。メニューはベタで限られているが、まあまあ美味かった。
 轟はだし巻き卵に醤油を垂らし、箸できりわけ、口に運んだ。相変わらずちっさい一口だなと、からあげを頬張りながら思う。
 こんなことを思うのも久しぶりだ。
 いつ以来だ。最後に轟と会ってから、もう二か月前か。
 めんどくせぇこと言ってもいいか、と言ったくせに、なかなか口を開かない。だし巻き卵を丁寧に咀嚼し飲み込んだのち、日本酒に口をつけ、さらに天井付近を見上げ、ようやくこちらを向いた。見方によっては、ガンつけている角度だ。付き合って数年経っていなければ、今から喧嘩を売られるのだと勘違いしたに違いない。
「最近、上鳴とかとよく飲んでるよな」
「ア? あー」
 そういえば半月前に飲んだな、と思い出す。
 あの場には他に切島と瀬呂がいた。いつものメンツと言って差し支えない。だが「よく」というほどでもない。
「なんで俺も誘ってくれねぇんだ?」
「……あンときは」
 何故轟を呼ばなかったのだったか。
 轟も呼ぶかと切島が提案していた、はずだ。記憶がパラパラと散っていて思い出し辛い。じんわりと酒が回ってきたらしい。そうだ、丁度夕方のニュース速報で轟の姿が流れていたからだ。こりゃまだ後片付け中だろうな、と瀬呂が肩をすくめていた。
 そもそも。
 できることなら、轟とは二人で会いたい。付き合っていることが知れているので、並んで座っているとなんだかんだ茶化される。それに騒がしいやり取りの中で、轟と過ごす時間が霧散するのも癪だ。
 思い出した内容をざくっと丸めて「テメェは仕事中だった」と伝えたのだが、轟はどうにも不満そうだった。分かり辛くむすりとして、枝豆をかじっている。小動物っぽさがあって面白い。
「で、これのどこがめんどクセェ話なんだよ」
 飲み会に誘ってくれ、くらい普通の話だ。だというのに、やはり納得がいかないようだ。しきりに首を捻っている。
「だって、俺たち今日久々に会ったろ」
「まあな」
「なのに他の奴とは頻繁に会ってんのは、なんかズリィって思っちまって」
「ほほう」
「だから、これってあれだろ。嫉妬ってやつだろ」
 いつの間にかテーブルに増えていた焼き鳥に手を伸ばす。先ほど回想に必死になっている間に、店員が持ってきたのだろう。焼きたての熱さが残る鶏肉を歯で挟み、串から引き抜く。どこの部位だこれ、ぼんじりか。
 咀嚼し、ハイボールを飲み、なんとも言い難い表情を作っている轟を見る。怒る方向に表情筋が発達しているので、ぶすくれた顔も得意な方だ。しかしいつもの拗ねている顔とも微妙に違うのが「これってあれだろ」と「めんどくせぇこと」の部分に引っかかっているのだろう。
「まず、この二か月であいつらと飲んだのは一回だけだ」
「ハ? SNSに写真二回上がってたぞ」
「アン?」
 証拠を提出しろ。とテーブルを叩くと、轟がスマホを操作し、上鳴のアカウントを表示した。
 上鳴の自撮りに、他三人が写り込まされた写真を見せられる。投稿日は飲んだ日だった。
「ほらこれだろ」に続き、瀬呂のアカウントに移動する。
 そちらの写真のメインは料理で、その後ろに爆豪と切島の腕がわざとらしくもひっそりと写っていた。顔は隠したが、見るやつが見れば誰か分かる状態だ。こちらの投稿日は、飲んだ日の五日後になっていた。
「ほら、二回だろ」と訴えてくる轟近くの皿から、枝豆をつまみあげる。ぽこっと押し出した中身を口に入れる。それから画面を指さす。
「良く見ろ、同じ日同じ店だわ。日付ずらして投稿されとるだけだ」
 皿のデザインも、載っている料理も、テーブル上の配置までも同じだ。そう指摘すると「ほんとだ」と間抜けな面で驚いていた。その顔に満足し鼻で笑い、ジョッキを手に取る。次は何を飲むか。酒は打ち止めにして烏龍茶にするか。明日は遅番と言えど仕事だった。
 轟の手元の日本酒は、気づけば熱燗に変わっていた。ムカツクことにこいつは酔っても顔に出ない。対照的に爆豪はすぐ顔に出る。
 それで、なんだったか。嫉妬ってやつだろ、か。
「で? これ見てこいつらと会うのをやめてほしい、とか思ったんか?」
「なんでだ?」
「違うんか」
「俺も呼んでくれたって良くねぇか、って思った」
「んじゃ嫉妬じゃねえな」
「ちげぇのか」
 本当にそうなのか、と言いたげにお猪口を手に取り、眉間にしわを寄せながらちびちびと酒を飲んでいる。
 急に米が食いたいという気がしてきて、メニューを探る。茶漬けはまだだなとスルーし目を滑らせ、焼きおにぎりを見つける。二個の文字にそんなにいらないなと考え「食うか」と轟に聞くと、表情を変えないまま頷いた。まだなにか納得がいっていないらしい。焼きおにぎりと烏龍茶を注文する。
「だいたいこの時も、最初は切島と瀬呂の二人だったとこに、どっからか嗅ぎつけてきやがった上鳴が合流してんだよ。これ、めんどくせェって思うんか?」
「良くあることだろ」
「テメェのそれも一緒だわ」
 たまたま現場が被ったことで、その日に予定していた飲み会にまでくっついてくる、なんてよくあることだ。この時の上鳴は、本当にどこからか嗅ぎつけてきていたが。どうせ切島が同僚に喋った内容が、まわりまわって上鳴に届いたとかだろう。
「なんだ、嫉妬じゃねえのか」
「ンでがっかりしてんだよ。デマの熱愛報道のときにはケロっとしとったくせに」
「あれは護衛だったじゃねえか」
 そうだが、目立たないよう私服での護衛だったため、デートに見えないこともない状態だった。
 後日、仕事の相手で誤解であると伝えたとき、轟はなんの話か分かってすらいなかった。熱愛報道の記事を見せてようやく「ああ」と手を叩いた間抜け面を覚えている。まったく、これっぽっちも気にしていない人間のリアクションだった。
 そこで轟が、はっと目を見開いた。
「ああいう時にするもんなのか! つーことは、この前俺が熱愛報道のデマ記事書かれた時に爆豪が怒ってた、あれが嫉妬ってやつか」
「あれはテメェの危機管理能力のなさにキレとっただけだわ」
 交際の既成事実を作られかけていた間抜けさに、くどくど文句を言ったが、全く嫉妬ではない。嫉妬を抱けるほどの信憑性が皆無だった。
「なんだ、あれもちげぇのか」
 今度は落胆ではなく、しかたないなと諦めるような口調だった。
 ちょうどよく運ばれてきた焼きおにぎりに、二人で手を伸ばす。お互い熱に対する耐性は高いため、焼きたてでも気にすることなく頬張った。
 ここらで程よく腹が膨れてきた。ただ、まだ帰るにはもったいない。二か月ぶりの逢瀬が一時間と少しでは、あまりに味気なかった。もう少し話したいものだがと時計を見たところで「ちなみになんだが」と轟がうかがってきた。
 なんだ、と視線を返す。
「爆豪は嫉妬されたい方か? めんどうくせぇ方か?」
 指先をおしぼりで拭いながら轟を見返す。質問に他意はないようだ。
 飯どこに行く蕎麦か麻婆豆腐か、と聞いてきた時とほぼ同じ表情をしていた。そんな都合よく蕎麦屋も美味そうな中華料理屋もなく、近くにあったというだけの理由でこの居酒屋に入ることになった。
「正直めんどくせェ。が、轟が何になら嫉妬すんのかは、興味あんな」
 ふわっと酒の回った頭でそう返すと、轟は至極真面目な顔をして「分かった」と頷いた。顔に出ないがこいつも相当酔っているのだろう。そう思った。
 つまり、酒の席だからこその話だと思っていた。
 まさかその日以降「これは嫉妬か?」「あれは嫉妬か?」と聞いてくるようになるとは一切思っていなかった。
 何に嫉妬するのかを確かめようとしてくるとは、予想外もいいところだ。あの時の轟は酔っぱらっているようでいて、正気もいいところだったのか。そもそも、本人相手に嫉妬かどうかの判定を仰いでくる時点で違うと分かるのだが。
「チームアップになんで他に回したんだ? 俺だって爆豪と一緒に仕事してぇ。これはどうだ」に始まり「そういえば緑谷と最寄り駅一緒だよな、うらやましいな。こいつはどうだ」で回し蹴りをくわえ「こいつ爆豪と一緒にニュース映ってんのいいな、俺も映りてぇ」といった具合に続いている。
 どれもこれもに「全然ちげぇ」と切り捨て呆れる反面、いささか面白くなってしまっていた。内容はともかく、好きな奴がこちらに一生懸命な姿は気分がいい。
 そこでふと、一方的に良い思いをするのも不公平だなと思いたち、蕎麦打ち教室について調べた。普段轟に蕎麦を食わせてやるときは乾麺を使っているが、麺から打つのもありだろう。元々完璧主義のきらいがあるため、そのうちやろうと考えていたので丁度いい。
 そんなこんなで休日に蕎麦打ち教室に行ったところ、パパラッチに写真を撮られた。見出しにデカデカと書かれたような『美人料理研究家と秘密のレッスン』では当然なく、他に生徒は五人もいて、それどころか講師はヒーローを引退し蕎麦屋を始めたオッサンであり、美人料理研究家にされた人物はそいつの伴侶だった。何一つ合っていない。『ショートの好物は蕎麦、つまり!』くらいの予想をたてろと呆れた数日後、轟から連絡があった。
 休みの調整でもついたのか、ならばさっそく蕎麦を打ってやるか、副菜はなにしようかと考えながら電話を取ると「ばくごう」とやけに打ちひしがれた声がした。
 普段聞かない声色に、思わずスマホを握りなおした。「なんだよ」と問いかけると、轟は静かに息を吸い込み、口を開いた。
「なんで俺に内緒で蕎麦食ってんだ? ズリィじゃねぇぁ。なぁこれはさすがに、あれだろ、嫉妬だろ」
「嫉妬対象が変わってんじゃねえか!」