いつか絶対泣かせてやる2022

   2

 掃除機を持って、爆豪の部屋に入る。
 使う人間がいなくとも埃は積もる。いっそそちらの方が積もる。「入るぞ」の声を無人の部屋にかけてから立ち入る。リビングも、轟の部屋も、掃除は終わっていた。あとはここだけだ。
 お互いの個室を設けることは、部屋を探す段階で決めていた。
 なにせプロヒーローは、規則正しい生活が送り辛い。朝早くに帰ってくることもあれば、夜遅くに呼び出されることもある。互いの眠りを妨げることもあるだろうということで、ベッドはそれぞれの部屋に置いてある。
 とはいえ私室は寝る時と身支度の時くらいしか使っていない。普段はほとんどの時間をリビングで過ごしている。互いの寝る時間と起きる時間が誤差範囲におさまる時は、どちらかの部屋で寝ることも多い。だがそれも基本許可制だ。「そっち行っていいか」や「こっち来い」という意思確認が必ず挟まる。寝ているところに勝手に乱入したのは、喧嘩が長引き冷戦一歩手前まで行った時くらいだ。
 お互い部屋を綺麗にしている方だから、掃除が楽で助かる。早々に作業を終え爆豪の部屋から出る。
 さすがに丸一日休みがあると色々と出来るものだ。午前中には買い出しに行ったし、午後は家全体の掃除もできた。この後夕食の支度と合わせて、作り置きのおかずを仕込む。
 ふ、と息を吐く。これらを一人で全てやろうとすると、思ったよりも大変なものだ。爆豪と比べると慣れないため要領が悪く、どの工程も倍の時間を費やすから余計にそう感じる。
 掃除機を片付け、洗面所で手を洗う。キッチンに向かい冷蔵庫を開け、麦茶をコップに移した。
 リビングのソファに一人、腰をおろす。二人掛けだから一人で座ると広くて落ち着かない。いつの間にか部屋の中は暗くなり、窓の外が夕暮れの色に染まっていた。
 爆豪が家を空けてから、二週間が経った。
 あれから本当に、一切の連絡を取っていない。するなと言われた為こちらからはしておらず、当然あちらからくることもない。
 しかしニュースでは爆豪の姿を見かけるし、声も聴く。なので存在を感じないというほどでもない。実に不思議なものだ。直接連絡を取り合わずとも、今どこで何をしているらしいと間接的に分かる。元気そうな姿が見られると、やはり安心した。
 ニュースいわく、爆豪は現在関西方面にいるそうだ。通りで現場が被ったりしないわけだ。
 麦茶を飲んでしばらくだらけていると、うとうととしてきた。ゆったりとまぶたを下ろし、次にハッと開けた時には、部屋は真っ暗になっていた。
 寝てしまったようだ。
 そんなところで寝るな、と声を掛けてくる奴がいないもんなと考えながら立ち上がる。カーテンを閉め明かりをつけ、キッチンへ向かう。
 爆豪のくれたレシピ集が、カウンターの上で開きっぱなしになっている。前から順番に作っていけば、飽きずに食べられるよう考えらてており、実に手厚い。。
 鍋に水を入れ、火にかける。その間に野菜を大量に、レシピの指示通りに切っていく。沸騰を待って全て投入する。今週はこの野菜スープをベースに、アレンジを加えていくことになっていた。
 次のページをめくると、今作っているスープにカレールウと肉を入れろという指示がある。ほぼ毎日蕎麦でも気にせず食える轟としては、几帳面すぎると驚かざるを得ない。
 爆豪の残して行ったレシピは基本、一度で四日分くらい作れるようになっていた。冷凍と解凍とアレンジを繰り返して、毎晩きちんとしたものが食べられる。数えたところ一か月分のレシピが入っていたので、すべての料理を三回食べると爆豪が帰ってくることになる。
 このレシピ集には他にも「ちょっと手の込んだものを作る気がある時」という項目と「マジで何もしたくねェ時」という項目と「体調不良時」という項目まで設けられている。忙しいヒーロー向けレシピ集として売った方が良いのではないかと思う。
 煮えたスープの火を止め、一食分を別の鍋に移し替える。そこに冷凍餃子を投入し、再度火をつける。
 今日はスープ餃子だ。それから三日前に作ったきんぴらごぼうの残りを取り出し、レンジに入れる。入れ替わりで冷凍ご飯を温めたら、今日の夕食の支度はお終いだ。スープの本体はしばらく放っておいて、冷めたところで冷凍する。
 ダイニングテーブルに食事を並べ、ふと思い出し自分の部屋からノートパソコンを取ってくる。食事と並べてパソコンを置き、電源を入れる。
「いただきます」
 手を合わせ箸を掴み、左手でマウスをぎこちなく動かす。
 HNにアクセスし、今日の事件に目を通す。目立つ情報がないことを確かめた後、一般のニュース記事に移動する。今日も爆豪はどこかに載っているだろうか。
 見出しを眺めていくが、新着記事には居ないようだ。更にスクロールしていけば、一昨日の記事で名前を見かける。銀行強盗を通り掛かった爆心地が捕まえた、というニュースだ。クリックして開くと、面倒臭そうに眉を寄せた私服姿の爆豪の写真が出てくる。休みだったんだろうな、と予想して笑ったのも一昨日のことだ。
 きんぴらごぼうを摘まんで口に入れる。知っていたが味が濃い。中和するようにご飯をかきこむ。
 顔を合わせていなくとも、こうして姿を見る。テレビを付ければ時々動く姿も、声も聞こえてくる。ショートがニュースに取り上げられたときには、爆豪は見ているだろうかと考える。
 だが寂しいものだ。一人では広いダイニングテーブルを眺める。
 野菜と水餃子のスープに口を付け、ふと考える。
 ところでこれは美味いのか。
 自分で作った料理は不味くはない。味は薄かったり濃かったり、時々は丁度いい。だがそれを美味いのかと言われると、さっぱり分からない。美味いだろうかと自問自答すれども、爆豪の飯が食いたいなという結論にしか至らない。
 スープの入った器と睨み合う。
 自分で食べるから分からないのではないかと思い、スマホを取り出す。
 緑谷の連絡先を開いた。

   *

「ごめんね、中々予定が合わなくって」
「いや、俺も台所借りちまってわりぃな」
「いいよいいよ全然。なかなか自炊もできないし、作ってもらったごはん食べられるの嬉しいよ」
 一人暮らしをする緑谷の家を訪ねたのは、爆豪が家を空けてから丸一か月経った日のことだった。
 緑谷に連絡を入れてから早二週間。ようやく二人の予定が合ったというか、合わせることに成功したというか。
 久々に立ち入った緑谷の部屋は、相変わらずのオールマイトグッズと、筋トレグッズに溢れていた。だが散らかっているという様子はない。寮生活の頃からあまり変わっていないようだ。
 あの頃はよく、飯田を含めた三人で部屋を行き来していた。一緒に勉強をしたり、特に用がないが集まったり。今日も本当なら飯田も呼びたかったのだが、彼の所属する事務所はここから少し遠い。緑谷と轟の家ですらあまり近くはない。それでも半日休みがあれば十分会える距離だ。
 分かっていたことだが、プロヒーローともなると中々会えないものだ。意識せずとも毎日顔を合わせることのできた、あの日々とは違う。
「調理器具とか調味料とかあんまりなくてごめんね。足りるかな」
「鍋と包丁があれば大丈夫だ。あとは持ってきた」
「そっか、よかった」
 緑谷の苦笑する声が部屋の奥から聞こえてくる。
 手伝おうかという申し出は、家に上がった瞬間にも受けた。だが美味いかどうかを確かめてもらわなくてはならないからじっとしていてくれ、と断った。
 そういうわけで、緑谷は向こうで茶を飲んでいる。大人しくしていなければという気持ちと、気になるという気持ちが半々の、落ち着かない様子が伝わってくる。それがなんだかおかしい。キッチンに立つ姿を見て、不安とイライラ以外の感情が向けられているのは初めてだ。
「鍋とかフライパンはその上の戸棚、包丁はまな板と一緒に流しの横だよ」と緑谷が教えてくれる。
「悪ぃな。本当は家に来てもらえたら良かったんだが」
「気にしないでよ。っていうか、流石にまだ招かれていない家に、かっちゃんが居ない時に上がり込むのもね」怖いしね、と緑谷が肩を竦める。「なら、爆豪が帰ってきたら、家に緑谷呼ぶぞって言っとくな」
「えっ、あ、ちょっとまだ心の準備が、できてないかなー、なんて」
「なら他の奴も呼ぶか? そうしたらちょっと、うやむやにならねえか」
「二人が一緒に住んでるって、他に誰が知ってるの?」
「あー。切島、だな。切島は来たことあるぞ」
「切島くんと四人かあ、いけ、いけるかな」
 ううん、と唸った声に続き、あれこれと悩み考える声が漏れ聞こえてくる。一度他人を招いている実績があるなら大丈夫か、いやでも大丈夫なのか、と繰り返し「大丈夫なのか」と心配する声が聞えるものだから苦笑する。
 昔ほど仲悪くはないのだから、来たらいいのに。しかし爆豪が不在の間に、緑谷を家にあげることはためらわれたのも事実だが。未だそういうところはみみっちいからな、あいつ。と一か月見ていない顔を思う。
 戸棚から大きな鍋と小さな鍋を取り出す。
 緑谷の家のキッチンは少し狭い。というより爆豪と住んでいる家のキッチンが広いのだろう。そういえば部屋を借りる時気にしていたな、と懐かしい記憶を呼び起こす。ひっそり笑い、それから直ぐ爆豪のことを考えてしまうなと、こっそり恥ずかしくなる。顔を見ていないと、余計に想ってしまう。
 ふーっと息を吐き心を落ち着ける。小さな鍋に水を入れ、コンロに掛けた。持ってきたスーパーのビニール袋から、ジャガイモ、ニンジン、ブロッコリー、鶏肉を取り出す。
 ブロッコリーってちょっと緑谷に似ているよな、などと思う。そんなことを思った直後に包丁を入れるのは非道だろうかと考えながら切り分け、下茹でする。
「そういえば、僕昨日までチームアップで大阪に行ってたんだけど」と緑谷が言った。
「大阪か」いいな、と反射的に思う。
 爆豪はたぶん、大阪近辺に居る。会ったりするものだろうかと考えていれば、見透かしたように「かっちゃんに会ったよ」と言葉が続いた。
「、本当か?」と振り返る。視線の先で、暇を持て余した緑谷が鉄アレイを握っていた。
「うん。たまたま会っただけだけどね。チームが出した応援要請を受けて来たのがかっちゃんだったから、びっくりしちゃった」
 関西に居るって知っていたけど、急に現れるとやっぱびっくりするね。と声が笑う。
「どうだった?」
「特に変わった様子はなかったかな。いつも通り舌打ちされたけど、舌打ちされただけだし」
「はは、目に浮かぶ」
 ジャガイモとニンジンの皮をむき、切り分ける。
「かっちゃん出張中なんだよね」
「ああ、三か月」
「長いね」
 本当に。
 一か月経って、もうすぐ貰ったレシピ集を一巡する。これがまだ二巡ある。ようやく三分の一かと思うと、あまりに長い。
「出張中とかってさ、連絡くれるの?」
 明らかに好奇心の滲む、そわそわとした声に尋ねられる。首を捻ると、ガッチャガッチャと筋トレをしながら、ちらちらと伺う視線と目が合った。
 鶏肉を一口大に切り分けながら、考える。
「ああ。何食ったか報告しろ、とか」
「ええ……」
 もっと他にあるでしょ、言いたげな声色がおかしい。轟とてそう思うが、あの爆豪が会いたいだとか寂しいだとか送ってきても、スマホを乗っ取られたのか? としか思えないのだから、それで良かった。
「他の話題振るのが照れくさいんだろ、アイツ」
「わあ」
「俺もああいう時、何の話題から送ればいいか分からねえから、お互い様だけどな」
「起きてる? とか聞けばいいのに」
「寝たか? って聞いてくる奴だぞ」
 想像できる、と言って緑谷が笑ったが「まあ今回は連絡取ってねえけど」と言うと「えっ!」と声が部屋に反響した。
 となりの部屋に聞こえないかと心配するも「ウソ!」という更に大きな二言目が続く。
「一か月、一回も?」
「おお」
「なんで?」
 連絡してくんなよ、と言った爆豪の顔が思い出される。
「仕事の内容的に、連絡出来ねえ、っぽい」
「そんな内容の仕事なの?」
「分からねえ。何も言えないっぽかった」
「そっか……僕の事務所にもそれっぽい話題は回ってきてなかったし、HNにも載ってないよね。情報漏洩に気を遣う案件かな」
「たぶんな」
「でもニュースとかには出てるし、完全に隠れるような案件じゃないのか」と、息をするように緑谷が推察を始める。久々に見るなと思っていれば、途中で我に返った緑谷が顔を上げ、こちらをむいた。
「早く片付くと良いね」と笑いかけられる。
「……おう」と小さく答え、具材を鍋に放り込んだ。

 
 
 

「美味しい!」とクリームシチューを食べた緑谷が目を丸くした。
 表情が良く顔に出るため、分かり易くて助かる。「良かった」と胸をなでおろした。
 オーブントースターでさっと焼いたバケットを千切り、シチューに浸す。ルウは市販品を使っているので、一定以上美味く出来て当然ではあるが。
「こっちのサラダも美味しいよ。さっきドレッシング作ってたよね。凄いね」
「あれも混ぜただけだぞ」
「でも何と何をどれくらい混ぜればいいかって難しくない?」
「爆豪レシピだから間違いねえ」
「ああ、うん、なるほどねえ」
 急に照れくさそうにした緑谷が、うんうんと首を縦に振った。ちなみにドレッシングのレシピは「ちょっと手の込んだものを作る気がある時」参照だ。ハンバーグのページに一緒に載っている。
「そういえば、轟くんの手料理食べるのって初めてかも」
「だろうな。家族と爆豪以外だと、緑谷が初めてだ」
「そういわれると嬉しいような、さりげなくかっちゃんが別枠にされてて照れるような」
「んだ、それ」
 呆れ交じりの言葉を吐くと「なんでもない!」と緑谷が手を振った。
「でもほんと、美味しいよ。轟くんって料理上手だったんだね」
「んなことねえよ。爆豪の飯と比べちまうと美味くねえし。自分じゃ良く分からねえから、緑谷に食ってもらおうと思って」
「ノロケだ!」
 ハ、と顔を上げると、目を真ん丸にして口元を抑えた緑谷がいた。ついに言ってしまったから慌てて口を押えた、みたいなポーズをしている。
 今のどのあたりがノロケなのかと、シチューをスプーンですくう。大きく切り過ぎたニンジンが固かった。食わせた相手が爆豪だったら、絶対に文句を言われているところだ。
「……爆豪が帰ってきたら料理のテストされんだよ。下手だったら捨てられんだ」
「えっ何が? 嘘、ごはん?」
「俺が」
「またまたー」
 緑谷が笑う。轟とて本気でそう思っているわけではないが、三か月ぶりに会って最初のイベントが、失望から始まるのは甚だ不本意だ。あの爆豪に美味いくらい言わせたい。言いそうにないが。
 一か月でこの状態で、あと二か月でどこまで上達できるだろうか。美味いまで行かずとも、合格ラインを超えられたら料理も分担制に出来る可能性がある。飯作って待ってるぞ、と連絡が出来る日もくるかもしれない。だがそれよりも、爆豪の飯の方が食べたかった。
 ふと視線を感じ顔をあげると、目をぱちぱちとさせながら少し顔を赤くした緑谷がこちらを見ていた。
「なんだ」
「轟くんってそんな顔に出るタイプだっけ」
「なにがだ」
「やっぱなんでもない!」
「……言えよ、気持ち悪ぃだろ」
「えーっとなんていうか、かっちゃんはやく帰ってこないかなって顔に、見えた、かな」
「は、」
 この時、火を噴かずに止められたことは、褒められてもいいことではないだろうか。左手を上げ、顔の前にかざす。とても素直に恥ずかしかった。
「悪ィ、せっかく緑谷が休み合わせてくれてんのに」
「あはは、いいよ全然。轟くんからそういう話を聞くの新鮮だし」
「……悪い」
「気にしないでよ、それに僕さ、未だにあんまり信じらんなくって。二人が上手くいってること。だからちょっと安心するっていうか」
「……それは、俺もだ」
 未だに少し、信じられない。七年も経っているというのに。
 ふーっと深く息を吐き、気持ちを落ち着ける。平静を取り戻すとバケットを千切った。
「そうだ、轟くん。明日って休み?」
「午前中は」
「じゃあ今日泊まっていかない? 僕も明日は休みなんだ。折角久々に会えたんだし、もう少し話しがしたいなって」
「いいのか」
「もちろん。最近のこと色々聞かせてよ。あとお酒もあけよう!」
「お、いいな」
 あとでコンビニに色々買いに行こうか、と期待に胸を膨らませる。酒につまみに、そういえばケーキが食べたいだとか。友達の家に泊まるだなんて久しぶりだ。
 わくわくとあれをしようこれをしよう、と話していた緑谷が急にハッとして背を丸めた。そして口元に人差し指を当て「かっちゃんには内緒にしておいてね」とひそりと言った。
 その様子がおかしくて笑ってしまう。
「アイツも今更怒らねえけど、拗ねると面倒だもんな」
「轟くんはあれを拗ねるで済ませちゃうかー」
「拗ねてんなって思うと、意外と可愛いもんだぞ」
「分かり易いノロケだ!」