バレンタイン爆轟

(爆轟小ネタ)

 
 
 
 

「おっ、爆豪。チョコ食いてぇ」
 言葉が聞こえたときには、となりを歩いていた男は方向転換をしていた。
 夜、スーパで晩飯の買い出し、これから家に帰って飯。
 大根の飛び出でたビニール袋を軽々抱えたプロヒーローの男は、通路脇にあった「バレンタイン特設コーナー」に吸い込まれていた。こいつそんなにチョコ好きだったかと首を傾げるも、遠ざかる背中を放っておくわけにもいかず「おい、待て、こら、舐めプ」と後を追う。
 ちょっとの寄り道のつもりのまま、どこかへ行ってしまうことが多々あるためだ。時折妙な俗世離れさをみせる。開放的になった箱入り息子か、お忍びの王子か何かかこいつは。
 ヒーローにまい進した結果の疎さを無下にできずに好きにさせていた結果、近頃ではただの自由人になってしまったようにも思う。いや、元々の性質がこうなのかもしれない。仕事でも、一報いれたからいいとでもいうように現場に飛び出て行くことが、たまに、よくある。
 派手な頭に追いついて、横に並ぶ。
 色違いの瞳がまじまじとショーケースを眺めていた。特設コーナーレベルの催しだと思っていたが、想像以上に種類があった。甘いものを積極的に食べない爆豪ですら知っているブランドが並んでいる。
「姉さんがな、この時期は美味いチョコ買い放題だって」
「らしいな」
 いつのまにか商戦の向きが変わっているとは聞いていたが、こうして足を踏み入れたのは初めてだ。チョコはスーパーの菓子売り場や、製菓コーナーくらいでしか買ったことがない。それでフォンダンショコラを作ってやったことがある。
 数年前の二月十五日のことだ。
 わざわざ一日ずらしてやったのに、この男は律義にホワイトデーにクッキーを持ってきた。砂藤の製菓教室が開かれ、元A組メンバーが数人参加していたと聞く。おかげで美味いクッキーにありつけた。
「爆豪はどんなチョコが好きだ? 酒入ってるやつか? 辛いチョコ、はないよな。甘いのに辛くしたら本末転倒だよな」
「苦いやつならあんだろ」
「カカオの割合高いやつか。やっぱ辛くはなんねえな」
「そもそもチョコに辛さは求めてねェわ」
 自由気ままにチョコを眺めて歩く轟に続き、ショーケースの中に目をやる。チョコの印象に反してカラフルなものも多い。パッケージも凝っていて、見合った値段がつけられていた。
「酒のつまみにチョコ食うのも美味いって瀬呂が言ってたけど、どういうのが合うんだ?」
「知るかよ」
「酒入ってるチョコで酒飲んでも仕方ねえよな」
「好きなの買やいいだろ。今日は鍋だぞ」
 てめぇの持ってる袋から飛び出ているものはそのために買ったんだろうがと、言外に急かせば「そうだった」とビニールを抱えなおした。
「もう少し待ってくれ、せめて一周みてぇ」
「わーったよ」
 渋々をよそおい了承しながら、ということは買うのは二周目以降かと横目に見る。
 チョコを一生懸命見ているかと思えば、ふと目が合った。こういう楽しそうな顔を見せられると、まあいいか、という気持ちになってしまっていけない。惚れた弱みなど、一生無縁の言葉だと思っていたこともあった。
 付き添って歩いていると、ときおり轟のようなカラーリングのチョコが見つかる。だいたいが苺味だ。中には半々の色に塗られた、まさにというべきか、めでたいというべきか、悩むものもある。ドライフルーツの苺をホワイトチョコレートでコーティングした云々。小文字の説明を読む。
 一周し終わったのち「じゃあ買ってくるから待っていてくれ」と轟は再び特設コーナーに消えていった。
 待って居ろと言われたので、遠慮なく通路を挟んだ向かいの柱に背を預ける。甘いものばかり見ていたからか、コーヒーが飲みたい気がした。家に帰ったら鍋を仕込みながら飲むか。
 ほどなくして戻ってきた轟は、小ぶりの紙袋を二つ抱えていた。あれだけ見てそれだけしか買わなかったのか。それとも二つも買ったというべきなのか。
 その片方が眼前に差し出され、思わず目を見張る。
「今年のバレンタインチョコは俺からな。……爆豪、俺みたいたチョコ好きなんだな」
「は?」
 意味が分からないと眉を寄せながらも受け取ったのは、先ほど見ていた紅白パッケージのチョコだった。
 首を傾げながら睨んだ轟は、なぜか照れていた。
「いっつもねだるばっかだし、たまには俺から渡そうって思ったんだけど。爆豪どういうのが好きか分からねえし、本人連れてきたほうが早ぇなって思って」
 じっと見ていたから、それが好きなんだと思った。だから買ってきた。
 轟はそういった。
 違う、と言い返したかったが、できなかった。否定をしたら「轟みたいだから見ていただけだ」と答えることになってしまうからだ。
「あー」と唸っている間に、轟が歩き出す。となりに続いて外に出れば、寒風に身がすくんだ。
 白い息を吐きながら「貰っといたるわ」と言えば、寒さに強い男は楽しそうに笑っていた。
「お返しは蕎麦で良いぞ」
「そば粉でクッキー焼いたるわ」