いつか絶対泣かせてやる2022

 
 
 

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「もうすぐ卒業なんだよな」
 となりを歩く轟焦凍が、早咲きの桜を見上げながら言った。それに「もう二月も終わるからな」とそっけなく返す。
 ハイツアライアンスへの帰り道、視界に他の生徒の姿はない。
 轟との距離は、いつもよりも近い。普段はもう少し離れて歩いているが、今日は誰も居ないからか、それとも言葉通り卒業が近く感傷的になっているからか分からないが、とにかく近かった。それで離れる気も起きないのだから、お互い様だろう。
 横目に見て、睫毛の長さまで分かる距離。
「卒業式の練習、あんま人集まってなかったな」
「さっさと事務所に行ってる奴らも多いからな」
「俺たちは丁度インターンとの切り替わりのタイミングでこっちにいたけど、そうじゃないやつも多いんだな、やっぱり」
「あんなダリィもんに出るくらいなら、戻ってくんじゃなかったわ」
「お、そうか? 俺は爆豪と会えたから良かったぞ」
 轟がするりとそんなことを言う。
 首を捻ってじとりと視線を向けると、何も分かっていないグレーの瞳がこちらをむいて、それから笑った。
 轟と付き合い始めたのは、二年の終わりのことだ。
 卒業式が近付くと、人は浮つくらしい。卒業してしまえば学校へ近付くことはなくなる。そうなれば同じ学校という接点が消える。そう考えたらしい生徒群から、轟は告白されにされていた。
 同じ学校程度の接点で調子に乗るなどアホらしい限りだ。轟はそこまでは思っていないだろうが「知らねえ奴と付き合うのは無理だ」と連日断っていた。まあそうだろう。そういうやつだ。
 そうなのだが、焦りを覚えたこともまた事実だった。
 あの時爆豪は焦っていた。朝も昼も夕方も呼び出され、古典的な手法でラブレターを渡され、その度律儀に断りに赴く姿に焦っていた。「知らねえ奴」の中に混じって「知っている奴」が現れたらどうなる。知らないわけではないからいい、など言うのだろうか。んなバカなことがあってたまるか。そう思いながらじりじりと焦りに火がつき焦げていく気配を感じていた。
「轟焦凍のことが好きだ」というとむず痒くて認めがたいが、誰にも取られたくないことは、最低限の事実だった。
 奪われるなど言語道断だ。他人に取られるなどありえない。
 焦った結果「知らねえ奴じゃなきゃいいのか」と「俺ならいいんか」が、口から出た。口を滑らせた。様々画策していたというのに、全くもって台無しだった。焦っていたとしか言いようがない。
 それに対して轟は驚いて、それから少し照れた様子で「分かった」と答えた。
 分かったってなんだと思いつつも、以降轟は呼び出されるたび「付き合っている奴が居るから無理だ」と答えるようになったので、そういうことだろう。
 まさかそう簡単に頷くとは思っていなかったが、勝算がなかったわけではない。じりじり外堀を埋めた甲斐は、たぶんあった。
 だが轟が爆豪に向ける感情を、恋愛感情だと認識しているかと言われれば、甚だ怪しいものだった。緑谷や飯田とは違った枠に入れてはいるようだ、というくらい。
 本当に分かっているだろうなと、何度疑ったか知れない。
 それでも、出掛けようと誘えば用事がない限り二つ返事で頷き、キスも拒まなかったし不快そうではなかった。しいて言えば、恥ずかしそうではあったか。
 お互いの部屋を行き来もしたし、喧嘩もした。二人とも導火線が短いため、腹が立てばすぐに手足が出て、結果轟の部屋の障子を破り、仲良く張り替えたこともあった。
 それもこれも今はいい。同じ寮に住んでいるからだ。会おうと思えば直ぐに会える。喧嘩しようが何をしようが、些細なことといってもいいほどだ。
 しかし卒業してしまえばそうはいかない。お互い別の事務所にサイドキックとして採用が決まっている。それぞれ一人暮らしをはじめる。会おうと思えば会える距離だが、思い立った瞬間に階を移動するだけの近さには程遠い。週に一度も会っていられるのか。新人サイドキックにそのような暇があるのか。
 多忙な日々の中からわずかな時間を捻出して会わなければならなくなるこれからを、轟はどう思っているのか。
「そういえば、付き合ってもうすぐ一年だな」
 轟が歩きながら言った。
 驚いて顔をむけると、楽しそうに笑う横顔が見えた。
「……覚えとったんか」
「二月二十八日だろ。合ってるか?」
「おう」合っている。
 二月の最終日と言う分かり易い日付ではあったが、まさか覚えているとは思っていなかった。記念日の類に疎いと予想していた。
「あの日カレンダー見たから覚えてる。驚いたからな」
「驚いたんか」
「驚くだろ」
 冬の寒さが残る春の風の中で、轟がじわりと目元を赤くした。
 思わず息を飲む。言葉も悪態も忘れて見詰めていると、ちらりと視線がうかがってきた。ぱちぱちと瞬いて、ふと笑う。
「俺を選んでくれてありがとな。この一年、すげー楽しかった」
 インターンで忙しいのにあちこち連れてってくれたよな、と轟が言う。
 映画だろ、水族館だろ、あれベタだよな、あとクリスマス近くに行ったショッピングモールのイルミネーション綺麗だったよな、帰りに待ち合わせて食べたあそこのラーメン美味かったな、夜食に作ってくれたうどんも美味かったし。
 轟が指折り思い出を数えている。言葉が紡がれる度、轟と同じ記憶が脳裏に浮かぶ。
 クリスマスのショッピングモールとか混んでるところもう絶対行かねえだとか、うどんはお前がたかってきたんだろうがとか。全部思い出せる。鮮明に思い出すことが出来る。
 この一年という時間。自分と同じものが、轟の内にも確かに降り積もっている。
「俺たち、卒業が終わりじゃないよな。今みたいには会えなくなるだろうが、これからも、爆豪の、その」
 轟が歯切れ悪く言葉を濁した。「あ」とか「う」とか言いながら、視線がうかがってくる。なんだ、と言葉に出さぬまま、出せぬまま見つめ返す。
 意を決したように息を吸いこんだ轟が、耳を赤く染めながら「恋人、してていいんだよな」と呟いた。
 じわりと視界が歪んだ。
 あ、まずい。そう思った時にはすでに止められず、目からぽたりと雫が滴っていた。慌てて顔を背け腕で拭うが、とっくに誤魔化せる段階は過ぎていた。
 なにせ「恋人」と呟いた轟の、恥ずかしそうな表情をしっかりと見たのだから。
「お、爆豪泣いてんのか」
「ウッセェ!」
「結構涙腺弱いよな。映画観に行った時もちょっと泣いてたよな」
「見てんじゃねえクソが!」
「ふは」と轟が吹き出した。
 目元をぬぐいながら、ギリギリと歯を食いしばる。情けない恥ずかしい悔しい。だが確かに今、嬉しいのだからメチャクチャだ。
 耳を赤くしたまま、肩を揺らして笑う轟の胸倉を引っ掴む。
 噛みつく様に顔を近づければ、色違いの瞳が驚きで丸くなった。
「テメェもいつか絶対、泣かせてやるからな!」

 これからも続いていく未来を思って、いつかコイツも泣けばいい。