メリー良いお年を

(五夏)

 
 
 
 
 
 

「メリークリスマース!」
「大晦日だけどね」
 期待したポンという音を立てずに、悟はシャンパンのボトルを開けた。家だというのに今日はおめかししていて、カッコいいのだか可愛いのだか分からない。とにかく、全身全霊浮かれた気配が漂っていた。
 用意された二つのグラスの片方に、開けたてのシャンパンが恭しく注がれる。もう片方にはすでにシャンパンに似た色の飲み物が注がれていた。そちらが悟用らしい。
 私は家のダイニングテーブルに、これまた少しのおめかしをして座っていた。正装とは言わないがよそ行きの服に着替え、髪も結び直してある。到底家にいる格好ではなくて、どことなくくすぐったい。
 テーブルには見覚えのないクロスが二枚、それぞれの席に敷かれている。ピカピカに磨かれたカトラリーは知っている物だ。どこかの国で悟が「仕入れで行ったんだけど、俺も欲しくなっちゃった」と二式買ってきた物。
 今日は悟がお手製フルコースをごちそうしてくれるらしい。
 帰国したばかりで疲れているだろ手間だしどこかに食べに行こう、とは言ったのだが「この前まで泊まっていたホテルのキッチンがすっげー狭くて発狂しそうだったから、のびのび作りたいんだよね」と返されてこうなった。
「だって一緒に過ごせてないし」
「ふふ、まとめてやりたいわけね」
「本年もメリーお世話になりました」
「無理矢理挟まれたこられたメリーが気の毒だ」
「メリーよいクリスマスを」
「それはただのクリスマスじゃないか!」
 メリー良いお年を、ハッピーメリーイヤー、急に年明けになってるじゃないか、だとか言っている間に、悟が小皿を二枚持って戻ってきた。急にシェフのようなポーズを取り、うやうやしく皿を置くので、こちらもつい背筋を伸ばしてしまう。
「これは突き出し代わりのとりあえずチーズ」
「格好いい顔して解説の大雑把さが凄いね」
「ま、ようするにシャンパンのつまみね。おかわり自由」
 椅子をひき、悟も席に着く。
 衣装に見合うよう前髪を上げた悟が向かいに座ると、いつもの家の中だというのに別の場所のようだ。特別感があっておもしろい。悟は意外とサプライズ好きだしなと笑ってから、いやどうかなと思い直す。思いつきから実行までの速度が速いから、サプライズのように見えているだけかもしれない。
 二人グラスを掲げ、カチンとあわせる。
「乾杯ー」
「悟のはなに? シャンパンじゃないよね」
「俺はシャンメリー」
「クリスマスに日本にいなかったくせに、いつ仕入れたんだ」
「あるところには年中あるもんだよ」
 ふふんと笑う顔を眺めながら、シャンパンに口を付ける。
 美味しい。美味しさに目を見張る。一本幾らするやつだろうなと、ボトルクーラーに刺さったシャンパンのラベルに目を向ける。いや、怖いので聞かないでおこう。
 何気なくピックで刺して口に放り込んだチーズもやたらと美味しかった。シャンパンとチーズだけで満足できそうなほどだ。
 悟はシャンメリーを半分程飲んだところで席を立った。そして静かに台所へ消え、次の皿二枚を持って戻ってくる。
「前菜はパテドカンパーニュね。いっぱい出来ちゃったから明日も食べて」
「明日?」
「前菜でお腹いっぱいになられると困る」
「なるほど。お雑煮とパテドカンパーニュか」
「傑の作るお雑煮楽しみだなー」
 目の前に置かれたパテをまじまじと眺めてから、切り分けて口に運ぶ。美味しい。これも酒が進む味だ。ぺろりとグラスを殻にすると、すかさず注がれる。
 どこからどう見ても手間のかかった美味しい食事、手厚いサービスを受けておいて、明日の私はお雑煮しか作らなくて本当に大丈夫だろうか。今からおせちのレシピでも調べようか。こうなればパテドカンパーニュもどうにか縁起の良い意味をこじつけて、お重の一角を担わせよう。
「本当に手伝わなくていいの?」
 次の皿を準備しに席を立とうとした悟に声をかける。今日は悟シェフのお任せフレンチフルコースだから座っていればいいよ、とは最初に言われていた。
 しかし一品いったい何分かけて作ったのだというものが出てくると、ただ座っているのも居心地が悪くなってくる。せいぜい一品十分、六品で一時間だとか、そのくらいだと思っていた。
 悟はけろっと笑った。
「もうほとんど出来てるから全然オッケー」
「え、いつから作ってるんだ」
「昼」
「嘘だろ!」
 私はその頃、大掃除をしていた。
 窓という窓を、網戸という網戸を拭いていた。悟もキッチンの大掃除をしているものだと思っていたが、まさかずっと料理をしていたとは。
 もう少し大事に食べようかなと、すでに回収されていった皿を思う。
「スープはポタージュでーす」
「インスタントであってくれ」
「裏ごしした」
「私も明日、黒豆を煮るよ。あと栗きんとんも作る。昆布も巻こう」
「え、買えばよくない?」
 そうもいかないだろうと眉を寄せながら飲んだポタージュは、滑らかで美味しかった。「うまいな!」と驚くと眉間の皺も消える。にまーっと自慢げに笑う悟の顔はほんのすこし憎たらしいが、実際そんな顔をしても許されて余りあるほどに美味しかった。
 はて家のコンロは何口あったっけ、と不思議に思う。
「続いて魚料理ね。ペース大丈夫? これは鮭のムニエル」
「食べるペースは問題ないけれど、君の料理のスピードはもっと落としてもいいよ。ゆっくり座って食べなよ」
「十分ゆっくりしてると思うけど。皿が空になってから席立ってるし」
 バターの良い匂いを嗅ぎながら、果たして本当にそうかな、と視線を送る。確かに皿を空けたら回収され、次の料理が運ばれてくる。ただ、運ばれてくるまでの時間が、いやに短い。
 姿を消してから現れるまで、何分も待っていない。
 もしやあの扉の向こうだけ異次元につながっていて時間の流れが違うのではないか、などと疑うほどだ。本当は悟はドラえもんで、と考えて、少し酔いが回ってきているのかもと自覚する。
 料理が美味しいので、酒が進む。
「ありがと」と悟が突如わざとらしく可愛い顔をしてウインクしてみせた。
 脈絡が分からず首を捻る。もしや今の考えが口から出ていたのだろうか。果たしてどこから出てしまったのか。「君はドラえもんか?」と聞いたら「どうした?」と問い返されたので、どうやらそれ以降だけのようだ。
 ムニエルも例に漏れず美味しかった。
 表面はパリッとしていて中はジューシーという、鉄板褒め言葉の要件を満たしている。かけられたソースが少しピリッとしていて、これまた酒に合う。
「酒に合う味付けばかりだけれど、君には味が濃くない?」
「シャンメリーにも合うよ」
「こんなに褒め言葉なのか悩むフレーズもないな」
「つっても、つまみって素面で食べても美味いじゃん」
「それはそうだね」
 酒が欲しくなるか、ご飯が欲しくなるかの違いだろうか。
 三杯目のシャンパンを飲み干したところで、皿が空になる。悟はまた楽しげに皿を持って席を立ち、今度は一分とかからずに戻ってきた。編集されたバラエティ番組みたいだ。出て行ったと思ったらすぐに現れる。それか料理番組。出来上がった料理がこちらです。
「はいシャーベット。これはさすがに買った」
「もうデザート?」
「口直し。まだ肉料理あるよー」
「ははあ」
 そういえばコースにはそういうメニューもあったかも、とふわふわした頭で考える。そんなところまで拘るのか。確かに悟は時々凝り性だ。学生時代に「お菓子の家が作りたい」と言って大作を作っていたこともあった。あれを食べるのは実に大変だった。硝子と灰原と七海を呼んで、さらにお土産まで持たせてやっと終わりが見えるほどだった。
 シャーベットは柚味だ。さっぱりとして美味しい。心なしか確かに食べたことのある味をしている。スーパーで買えるやつ。
 そこでふと、フルコースの材料をそろえるため、カゴを片手にスーパーをうろつく悟の姿を想像した。一緒に行きたかった。悟はスーパーのカゴが凄く似合わなくとてもいいのだ。
 空になったシャーベットの皿を持って、悟がまた台所に消える。「肉楽しみにしといて」と投げキッスを置いて去って行った。そんなモーション付きであったし、さすがに肉を焼く時間がかかるだろうとのんびりと構える。
 シャンパンをちびりと飲み、おかわり自由のチーズを口にぽいと放り込む。「お待たー」と悟が戻ってきた。
 はっと顔を向ける。
 全く待っていない。シャンパン一口とチーズ一つ分しか待っていない。十分十五分、なんなら三十分だって待つつもりだったというのに、五分と経っていない。
 知らない間に寝てしまっていたのかと動揺するほどだ。
「私寝てた?」
「いや寝てた風には見えないけど」
「だよね?」
 実際壁の時計も大きく時間が動いたように見えない。眠って起きたときのようなスッキリとした感じもなかった。
 悟はまたシェフよろしく、恭しく皿を置いた。どの品もシェフ自ら運んで説明してくれるとは、贅沢な料理店だ。いや私だけのためか! と今更なことを考えて「ふふ」と笑う。
「肉料理はベタにローストビーフにしたよ。クリスマスだし」
「そういえばそうだったね。メリークリスマス」
「メリークリスマス。七面鳥の丸焼きも考えたけど、さすがにフルコースのメニューぽくないなって」
「丸々でてきたらそうだろうね」
「あ、切り分けて出せばよかったのか」
「そうしたら明日はパテドカンパーニュと七面鳥とお雑煮だったよ」
「わはは!」
 悟の用意してくれた料理はどれも美味しかったが、ローストビーフはさらに格別だった。噛めば噛むほど美味しい。あまりに美味しくて、しみじみと、じっくりと、たっぷりの余韻を乗せた「美味しい……」が口からでるほどだった。
 満面の笑みの「まだあるよ!」が返ってきて「明日はお雑煮とローストビーフかあ」と笑ってしまう。ローストビーフはどんな意味でこじつけよう。
 噛みしめてはシャンパンを飲み、空になったグラスに次を注いでもらいながら、はたと思い出す。
「いや、悟、料理を出す速さがおかしいよね」
「え? もっとゆっくり食べたかった?」
「そうじゃなくて、どうやって作ってるんだ」
 冷静に思い返せば、スープは温かかったし、鮭のムニエルも熱々だった。ローストビーフは切り分けだけと思えば辛うじて納得できる、だろうか。しかし掛けられたソースは温かで、これも美味しい。
 美味しい。美味しいんだよなあ、と意識が飲まれそうになり、いやいやと悟を見る。
 悟はまたわざとらしく可愛いポーズをしていた。これはあれだ、説明をするのが面倒で誤魔化している時の顔だ。
 額をかく。
「まあいいか、美味しいし」
「わはは、傑のそういうとこ好き」
「私は悟のそういうところ、よく分からないよ」
 面白いからいいけどね。と添えて、最後の一切れを口に運ぶ。食べ終えてしまった。まだあるそうだから貰ってしまおうか。皿を回収される前の一瞬で考えて、悟を見る。
「シェフ、この後のメニューは」
「あとはシメとデザートかな」
「フレンチのコースにシメなんてあったか?」
「いやこれ、メリー年越しだから」
「また新しい単語が出てきたな」
 さっき聞いたのはもっと別の言葉だったろうと首を傾げる。シメの一品が出てくるのなら、ローストビーフは我慢にしよう。お腹がいっぱいになって楽しめなかったとなっては、昼からフルコースを仕込んでくれた悟に悪い。美味しく食べるのが私の勤めというものだ。
「さすがに五分待って」
 そう言い残して悟はキッチンへ向かった。
「三十分でも待つよ」と声を掛けると「主賓をそんなに待たせられませーん!」と返ってきて、いよいよ今日のコンセプトがよく分からなくなってきた。
 宣言通りの時間をおいて悟が戻ってくる。
 目の前に置かれたのは丼だった。
「ほい、シメの蕎麦ねー」
「フレンチをどうした!」
「だって年越しだし」
 これには思わず笑ってしまった。あまり悟が堂々と、さも当然と言わんばかりの顔をしているので。「ははっ!」と声をたてる。今その顔で、コースの最後は蕎麦と決まっていますよと説明されたら、信じてしまうかもしれないほどだ。
「好物だし、嬉しいよ。ザルじゃないのが残念だけど」
「年越しはこっちだろー」
「まあね」
 そっと置かれた箸を手に取って、蕎麦をすする。急に実家のような空気があたりに満ちた。
 今年も終わりか、なんて思う。色々あったが、さてどれが今年の出来事だったろう。悟は相変わらず海外に飛んでは帰ってきてを繰り返しているが、電話もメールも頻繁に来る。
 来年もこんな感じかなあ。と、向かいで蕎麦をすする悟を見る。いつまで経っても一緒にいて飽きないものだと、まったく関心してしまう。
 顔を上げた悟と目が合った。どうかした、と言うように首を傾げられる。
「来年もよろしくね」
「うん? こちらこそ」
「デザートの準備くらい手伝わせてもらっても良いかな」
「そんな準備とかないよ」
「私はコーヒーを淹れるよ。あと、君が時空間を操って時間をねじ曲げていないか確認する」
「してないよ!」
 愉快そうに笑った顔に笑い返す。
 デザートまで食べたらそのあとはどうしようか。初詣に行こうか。昼から料理をしていた悟を寝かせようか。明日は黒豆を煮て、栗きんとんを作らなくてはいけないし。そもそも元日のスーパーって開いていたっけ。
 まあいいか。明日は食べるものがたくさんあるから、明後日考えよう。
 その後デザートに出てきたケーキに「メリークリスマス」のプレートが刺さっていたので、堪えきれず吹き出してしまった。
 腹を抱えて笑い転げて、目尻ににじんだ涙を拭いながら悟を見る。
「順序が逆!」