(緑谷と死柄木)
浜辺に人が二人。
波の音が響いている。他には何の音も聞こえない。静かだ、静か。世界に僕達二人以外誰も居なくなってしまったので当然か。
轟音が世界を包んですべてを滅茶苦茶に壊し、何もかもを巻き込んで揺れ、渦巻き、気づけばここに居た。
死柄木弔と二人。
世界に二人っきり。
言い争ったり殴り合ったりの一通りをすべてを終え、浜辺で仰向けに寝そべっていた。ちょっと離れて、大の字の男が二人落ちている。空中から見たら、難破船から放り出された末、浜辺に打ち上げられた人に見えるに違いない。実際そう間違っていないか。船が沈没し、遭難して二人きり。問題は乗っていたのがノアの箱舟で、箱船が沈没した結果すべて消え、この二人しか残らなかったということだろう。
あくまでたとえ話だが、近しいものがある。
「……お腹すいたね」
気の抜けた声を口にすると「……たしかに」という気だるげな返事が聞こえた。
同時に体を起こして立ち上がり、体についた砂を払う。どこかを探せば、食べ物くらいみつかるだろう。缶詰だとか、そういうものが残っていたら助かる。なければ釣りでもしよう。
ノアの箱舟に例えたが、人以外の生き物は、多分まだ生きている。より正確に言うならば、個性を持った生き物以外は生きているはず、だろうか。
「町でも見に行く?」
振り向いて、死柄木に声をかける。くしゃりと顔をしかめられた。
「一緒に行く気かよ」
「他に誘う人も居ないし」
「ああ、独り言ばっか繰り返してたら、イカレ野郎だしな」
「言い方さあ」
僕達の間にはもう、戦意も敵意も害意も、その類いの感情のどれもが残っていなかった。かわりに友情や好意や敬意が芽生えたかというとそれも違うが、うっすらと「情」らしきものは生まれていた。なにせもう僕達二人きり。
死柄木の感知系の個性には、他の人が引っかからないと言っていた。それはきっと嘘ではない。死柄木はヴィランであるが、嘘で人を陥れるタイプではなかった。かなり真っ直ぐ素直だ。そうでなくても、他に誰も居ない認めて喚いて暴れる、そんな行動を取る理由がない。
どうも、複数個性を持つ資質がある人だけが残った、ようだった。「ドクターが個性終末論の話ししてたな」と死柄木がぼやいていた。
その個性終末論に基づいたなにかが発生し、個性をもつ生き物を巻き込み消滅した。
のではないだろうか、というのが僕達二人の出した推論だ。しかし無個性の人が残っているわけではなかったので、再考の必要はある。しかし、何故こうなったかの原因を解明したところで、どうにもならない。自分たちが少しだけ、ほんの少しだけ納得して、それ以上には何も生まれない。
それよりは、空腹を満たす方が先だろう。のろのろと町の跡地へと繰り出して、店の看板の名残を探す。
その途中でがれきの山にけつまずいて転んでしまった。ダメ押しに、ぐうとお腹が鳴る。死柄木は「ぷっ」と笑った後、こちらに近づいてきた。
腕を掴まれ、引き起こされる。同時に、体中にあった怪我が治った。同じ現象が、死柄木にも起きる。二人ともぼろぼろだったのに、今はすっかり何の傷跡もない。衣服は元に戻らなかったため、ピカピカの体にボロをまとっていて間抜けだった。
「ありがとう……なんで?」
「治癒の個性が増えてることに気づいた」
「増えた?」
「前はなかった。あとなんか、他にも色々増えてる。すっげぇうるさい」
「どういうこと?」
「おまえが静かになったから、こっちがうるさいことに気づいた」
「ううん?」
何の話? と首を捻りながら歩き出す。
軽やかにがれきを飛び越えながら「あっ個性の声?」と閃く。思えばOFAの遺志も喋る。あれはOFAに遺志が残っているのではなく、個性に意思がくっついていたのかもしれない。蓄積された個性には意思が宿り、僕に喋りかける。だが今は静かだった。
「それでなんで僕の怪我まで治してくれたの?」
自分だけ治せば簡単に倒せただろ、と聞くのはもう野暮か。二人しか居ないのに相手を殺して、それで何になるのか。そう気づいたからこそ、浜辺に倒れ込んだのだし。
「試しただけだ」
「怖い!」
失敗していたらどうなっていたのだろうと、自分の肩を抱く。まあ、真実はどれでもいいか。本当に試しただけかもしれないし、情かもしれないし、労働力とみなされているだけかもしれない。
二人で町の中をさまよい、死柄木が「あっち」と言う方向へ行き、どこかの食料貯蔵庫に辿り着いた。役所、に見える。災害時に備えての倉庫だったのだろう。
日本でヴィランとヒーローの全面戦争が起きたあと、どこでも備えが始まっていたに違いない。思えばここはどこの国なのだろう。残った文字からして、英語圏らしいことしか分からなかった。
「あのさ、真っ直ぐここに来なかった?」
「なんか変な個性まで混じって増えてる。食いものに執着があってうっせぇ」
「ええ……」
賞味期限の短いものから選んで取って、外に出る。ここまで僕は良いとこなしだなと気づいて、率先して周囲のがれきを片付けた。可燃物を集めてきてたき火を作り、道中で拾った鍋で水を湧かす。といっても、水と火を出したのは死柄木だった。どれも個性によるもの。増えたというのは真実らしい。
「なんか、びっくり人間みたいになってるね」
体から何でも出る。
代謝という表現で手指を増やしていた段階で、とっくにびっくり人間だったろう。戦っている最中はただやっかいだったが、こうしてみると奇妙な手品のようだった。そうはなんないでしょ、と今更ツッコミを入れたくなる。
びっくり人間の響きがお気に召さなかったようで、炎で髪を炙られチリチリにされた。「なにすんの!」と慌てて髪を叩くが、炎を出す動きに凄く見覚えがあって、ゾッとする。
「ははは!」とひとしきり人の髪型を笑った末、死柄木は元に戻してくれた。曰く「その頭でずっと視界にいられると不愉快」だそうだ。自分でやったくせに。
意外と美味しい非常食を二人で食べ、インスタントスープを飲み、夜空を見ながら眠った。
そんな生活を幾日か繰り返した末、ついに一つの推測を口にする。
「もしかしてさ、世界中の個性が、君の中に取り込まれているんじゃない?」
焼けた魚にかじりついたばかりの死柄木は、むぐむぐと口を動かしながら首を傾げた。
僕達は非常食に飽きて、気まぐれに川に魚を捕りに来ていた。個性使用禁止のつかみ取り。一人一匹捕まえた名前も知らない魚を木の枝に刺し、浜辺で焼いた。サバイバルが上手くなりつつあった。様々な個性を使いたい放題な死柄木がいると、難易度としてはキャンプ程度かもしれないけれど。
「さすがにそれはねェだろ……いや、あー……無理。数えらんない」
「君のAFOが暴走して、様々な個性を吸い取ってなんか、こんな感じになったんじゃないかな」
「は? ならなんでおまえは無事なわけ」
「いや、うん、OFAが共鳴していた覚えがあるから、半分は僕のせいかも……。結局、複数個性持ちに耐えられる僕達しか残らなかった、って事実は合ってそうだけど」
たぶん、きっと、そんな気がする。しか、やはり言えない。個性研究の専門家だったらもう少し見解を出せただろうか。僕はヒーローオタクであって、個性の専門家ではなかった。
焦げないうちに焼き魚を手に取り、かじりつく。この前見つけた岩塩が、良い味を付けていた。「うま」と驚くと、死柄木がふふんと笑って見せた。今日の調理担当は彼だったからだ。
「で、それがなに?」
話が戻される。
世界中の個性が集まっていたからと言って、それがなんだ、と言いたいのだろう。
「いや、上手く個性を組み合わせたら、過去に戻ったりできるんじゃないかな、と思って」
「ハッ」
「笑わないでよ。まだ可能性の話をしてるんだから」
その可能性がゼロではないだろうと思えたからこそ、話している。例えばエリちゃんの個性は時間を巻き戻すと言ってもよかった。他にも世界の法則を無視するような個性は多い。ワープだってそうだ。個性一つでは足りずとも、組み合わせることができれば、世界の時間を巻き戻せる可能性は十分にある。
そして最悪の中の幸い、僕達はお互い複数個性を操れる。
「僕に個性を移動させることはできる?」
「……たぶん出来る」
「じゃあ色々試そう!」
善は急げとばかりに魚にかじりつく。まず死柄木がどういう個性を所持しているのかを確認するところからだ。個性を並べてどれを使えば実現できるか仮説を立てて、指定の個性を操る練習を重ねて、複数個性の同時使用の特訓も並行して進める必要がありそうだ。
考えながら黙々と食べ進め「ごちそうさま!」と手を叩いた時、まだ食べ途中の死柄木と目が合った。
「え……ダメ、かな?」
怪訝そうに眉を寄せる顔に、そう問いかける。
てっきり手伝ってくれると思ったのだが、思い違いか。死柄木が個性を開示し分配してくれなければ、この作戦は成り立たない。どうしようと頭を悩ませる向かいで、死柄木が小さく魚をかじった。
「まあ、いいけど」
「本当! ありがとう!」
「二人でこんなところにずっといても、仕方ないからな」
「だよね」
「ヒーローの居ない平らな地平線を手に入れても、それを残す仲間が居ないんじゃ意味がないし」
「君って意外と仲間思いだよね」
「ムカつく」
「褒めたよ!」
そこから僕達は永い時間をかけて、方法を探り合った。お互いの内に収まった個性のすべてを理解しあうことは、互いの細胞一つ一つまで知り尽くすことに似ていた。
たくさんの話をした。
飽きるほどの時間の中で、暇をつぶすように、狂気から逃れるように、話をした。世界で一番相手を理解していると言っても良いくらい、様々なことを話した。
まあ、今は世界にお互いしかいないのだけれど。
そして僕達は永い時間の末、ようやく過去へ戻る瞬間へ辿り着く。
これでお別れ、今まであったことはすべてなくなり、過去へ帰る。そう思うとほんの少し寂しく感じるほどに、僕達は永く近くに居た。
最後に何か言おうかな。
いままでありがとう。なんだかんだ一緒に居て楽しかった。一人じゃなくてよかった。それじゃあ。さよなら。
どれも思ってはいるけれど、口にするには違うように思う。ぐるぐると考えて、刻々と消えていく残り時間を数える。死柄木も何も言わなかった。けれど目が合う。
目が合って、顔の皺を見て、歳を取ったな! なんて当然のことを思った。急に笑いがこみ上げてきて、拳を握って突き出す。死柄木が、怪訝そうに僕を睨んでいた。
「次は止めるよ!」
いえば死柄木は吹き出して笑って、それから同じように拳を差し出した。
「やってみろよヒーロー!」