オマエと道連れ人生

      

 とっさにあいつを道連れにしてしまった。

    
「当たり前だが、暗ェな」
「深ェし」
「電波は」
「当然ねェよ」
 だよな、と耳元のインカムを小突く。小さく電子音が鳴ったあと、すぐさまとなりの爆豪につながった。「ほらな」と呆れた声が、目の前と耳元から二重に聞こえてきた。
 通信を切る。
 電波があれば電話がつながり、なければ近くの同種の端末同士でトランシーバーとして使える。そういったアイテムも、こうなってはただの飾りだ。
 深呼吸を一つはさみ、頭上を見上げる。
 爆豪と二人、あそこから落ちてきた。
 あそこ、あのあたり、たぶん、あの辺に、二人が落ちた穴があるはずだ。なのにいくら目をこらせども、真っ暗があるばかりで、灯り一筋見当たらない。
 上にはまだ、他のヒーローが居るはずだ。二人が転落したのに、ライトを向けもしないなど考えられない。
 これは困った。
 爆豪が真上に向け、ポンと珍しく軽い音を鳴らし爆破を放った。上空で破裂し、周囲を明るく照らす。閃光弾の応用らしい。花火のようで綺麗だった。
 しかし現実は厳しく、鮮やかな光は一面の岩場を照らし出すだけだった。つまり穴の一つも見つからない。
「……埋まってンな」
「みてぇだな」
 掌に炎を灯し、周囲を照らす。地面も岩場ばかりだ。草木どころか苔すらも生えていない。つやりと光る水の気配も、轟の氷が溶け出したものだった。「滑るから気をつけろよ」と声を掛け「慣れとるわ」という、やわっこい悪態が返される。
 人工物は見当たらない。どうやら天然の洞窟のようだ。事前説明で聞かされなかったので、地図に載っていない可能性がある。未発見の洞窟というとロマンのある響きだが、あいにくこれは探検ではなくて、遭難だった。
「どうする」
 氷で足場を作れば上れるだろう。だが高さに見合う強度の氷柱を生やせば岩壁にぶつかる。足場が崩れて埋まったことを思うと、強度が心配だ。最悪、上に居る人達を巻き添えにしてしまう。
 爆豪は上ではなく、前を見ていた。
「風が吹いてっから、どっかに出口あんだろ」
「お」
 言われて初めて気づく。
 確かに細く空気が流れていた。ひやりと肌の上を滑って吹き溜まる。「いくぞ」と促され、轟の炎をたいまつ代わりに歩き出す。
 今回ここへは救助任務のために来ていた。
 山登りに出掛けたのち消息を絶った家族四人の、捜索と保護。捜索願は祖父母から。
 この手の任務が回ってくることは珍しいが、緊急性があること、山が険しいこと、足場の確保が難しい場合などを考慮してのチームアップと聞いている。しかしそれよりも、すぐ動けるヒーローという条件が、一番大きなものだったのではと思う。爆豪も轟もそれぞれたまたま、ミーティングで事務所にいた。
 家族四人は存外すぐに発見された。
 前日雨が降っていたため、雨宿りが可能な場所を重点的に探した結果だった。洞窟に避難していた家族を見つけたのは爆豪だ。「こんな山に家族連れで来ンじゃねえ」という怒鳴り声がやまびこになって響き渡り、ヒーロー全員に家族の発見を知らせていたのは少し微笑ましかったし、続いた「もっとハイキングとかから始めろや!」の響きはより可愛げがあって、駆けつけたヒーローは皆少し笑っていた。
 家族を順番に洞窟から連れ出し、最後の一人の救助を終え、さあ戻ろうと言うときに、轟の足元が崩れた。
 一歩踏み出した途端、足が埋まり体勢が崩れ、あっという間に瓦礫に飲まれては、バランスも取れなかった。
 これはまずい、氷を出すか、でも無事な足場まで巻き込こむかもしれない、広範囲を覆えばどうだ、どこまでを覆えば大丈夫なのか、救助した人を巻き込むかもしれない、だったら落ちた方がマシか、どれくらいの高さか知らないが、たぶん、大丈夫だろう、炎がある、氷がある、非常食も多少持っている。
 そう結論付け、落ちる覚悟を決めた瞬間だ。
 爆豪と目が合ったのは。
 パチッと噛み合うように、吸い込まれるように、炎に似た色の瞳と目が合った。他のヒーローの持つライトが丁度その瞳を照らしていて、まさに燃えるような色に見えた。
 きれいだった。
 次の瞬間には、爆豪の手が差し出されていた。
 迷いなく、真っ直ぐに、素早く。
 その手を反射的に掴みそうになるも、一度逡巡した。爆豪の足元も崩れ始めている。
 お互いが手を伸ばし合わなければ届かない。二人はそういう距離に居た。手を伸ばさなければ、一人で落ちるだけだ。
 尚も爆豪の瞳が、じっと轟を見ていた。
 眉間の皺が消えているな、なんてのんきに思った。それほどにはっきり見えた。時間が止まって感じられた。
 見つめた先の唇が動く。
 轟。
 短く呼ぶ声そのを聞いた瞬間、手を取っていた。結果、手は届いて、爆豪の足場までもが崩れ、二人してここへ落下した。
 一歩進む度に、足音が大きくも静かに反響する。炎が揺らめいては影が伸び縮みし、壁に大きく小さく映し出される。
 天井は高いが、道幅はそう広くなかった。二人並んで歩くともういっぱいで、三人目が居たら後ろにずれて貰わなければならないほどだ。
 どこへ続いているのか。本当に出口はあるのか。相変わらず風が細く吹き込んでいる。
 ふと、違和感を覚えた。
 となりを歩いているのは爆豪だよな、というささやかな疑問に似ていた。いつも爆豪の横を歩いている。だから分かる程度の違い。
 変身能力を有したヴィランをすり替わっている、なんてことはあり得ないので、とすれば結果は一つだ。
「爆豪、足痛めたろ」
「痛めてねぇ」
「ワリィな。俺を担いで着地したからだよな」
「ケンカ売ってンのかよ」
 低く悪態を吐かれた流れで、膝で太もも裏を蹴られた。ごついサポーターが当たると地味に痛い。「いてぇ、うってねぇ」と気の抜けた抗議をすると、今度は溜息が戻ってきた。
 爆豪は着地時、轟を肩に担いでいた。
 落下時に掴んだ手を強く引き抱き寄せた、といえばロマンチックな気もするが、現実はお互いの両手を空けるためだった。荷物よろしく担がれ、爆豪の背中側から下に向けて膨冷熱波を放ち減速。これを二回。その後爆破で微調整が行われ、着地は爆豪が受け持った。
 落下の衝撃は勿論、暗くて足元が見えなかったこともあるだろう。足を痛めるだけで済んだことの方が奇跡的だ。
 肩を貸そうと回り込むが、避けられた。
 むっとして眉を寄せる。それから小さく溜息を漏らす。これは爆豪への呆れではなく、自戒的なものだ。
「……爆豪の足元が崩れそうだったの、見えてたんだ。なのに手を掴んじまった」
「正しい判断じゃねえか」
「正しくはねえだろ。だって」
 オマエを道連れにした。
 言えば鼻で笑われた。
 あの時、足元が崩れたとき、爆豪は手を伸ばしていただけだった。轟が掴もうとしなければ届かなかった。
 爆豪は一緒に落ちるつもりで飛び込んできたわけではなく、引き上げるつもりで構えていた。あの手を取らなければ、爆豪が落ちることは、きっとなかった。
 爆豪の足元が崩れたのは、二人分の体重が掛かった瞬間だった。
「無理すると治るの遅くなるぞ」
 念を押して、今度こそ肩を貸す。
 強引に腕を取り、肩に回す。体同士が寄り添って触れあって、緩やかに体温が伝わってくる。いつもより少し熱かった。ここまで動き通しだから当然だ。家族が見つかるまでの間、爆豪はずっと空を飛び回っていた。
 歩調を緩めて、二人三脚のように進んでいく。
 しばらく進んだところで、三叉路に出た。
 道の先を確かめるべく、炎で照らす。道幅にばらつきはあれど、外観は似たり寄ったりだ。奥まで光が届かず、先は見通せない。行き止まりなのか、続いているのか。
 正解の道がない可能性もあるが、それを今考えても仕方がない。いつかは救援も来るはずだ。探す側が探される側になってしまったことは不覚だが、落ちたのが自分たちで良かった、そうも思う。
 ここに居るのはヒーロー二人だ。
 どうにかなる。
 それも相手は爆豪だ。新発見された洞窟で遭難しているというのに、大した不安はなかった。それどころか安堵が滲んでくるくらいだ。
 ここで死ぬという気は、全くしなかった。
「風が一番強い道でいいか?」
 聞いて、頷く姿を見てから肩をほどく。「まっててくれ」と言い残して一歩大きく踏み出すと、ぐんと首が絞まった。
 ウッと呻いて振り向くと、爆豪が襟首を掴んでいた。その上こちらを睨んでいる。不思議に思って瞬きを繰り返せば、溜息まで寄越される始末だ。
「二人で確かめた方が確実だろが」
「それは、そうだな」
「オラ、肩貸せや」
「おお」
 数歩後じさって、再度爆豪に肩を貸す。自主的に回された腕に、ぐっと肩を抱き寄せられる、ではなくて、体重を預けられる。
 偉そうなのに素直で、なんだか甘ったるくもあり、変な感じだった。
 三つの分かれ道を順に回り、それぞれ炎の揺らぎと爆破の反響で探る。意見は完全一致し、左の道が選ばれた。
 二つの選択肢を切り捨てて、一つを選んで中に入る。これまで歩いていた道より少し狭い。肩を寄せ合い、一歩ずつ確かめるように進んでいく。
 二人分の足音が、ことことと反響する。
 時折重なって、足音が一人分に聞こえた。また直ぐにズレて、二人分に戻る。それを繰り返す。音を聞いているだけで飽きない気がして変だった。
 遭難していて爆豪は足を痛めていて、なのに悲観的な気持ちはろくになかった。怪我をさせたことを悔いる気持ちはあるが、これ以上言ったらどつかれる程度では済まない。
 少しの雑談を交えながら小一時間ほど進んだところで、開けた空間に出た。
 ぐるりと炎で照らすと、空間といえど道に変わりないことが分かる。脇道から大通りにでたような感じだろうか。
 行き止まりではなかった。しかし出口でもない。爆破が一つ遠くへ飛び、ポンと弾ける。
「まだ先は長ぇな」
「ぽいな」
 花火のような爆破の光りは、相変わらず岩壁を映し出しただけだった。それでも風は強まっている。出口にはきっと近づいている。
「ここらで少し休憩するか」
 せっかく広い場所に出たのだし、と提案する。
 あれほど高かった爆豪の体温も、すっかり落ち着いていた。冷えてしまった、というほうが正しいかもしれない。洞窟内はずっと、冷房を効かせすぎた部屋の中のようだ。低温耐性持ちでなければ辛い気温に違いない。
 肯定するように、組んだ肩がほどかれた。
「ま、丁度良いな」
 そのまましゃがみこんだ爆豪の背中から目を離し、改めて周囲を見回す。寒いし焚き火を用意したいのだが、可燃物はさっぱり見つからない。相変わらず岩と石ばかりだ。
 どうするか。一晩中でも炎を出し続ければ良いだけか。
「おい轟、火ィ寄越せ」
「明かりが要るのか?」
「ちげぇ、焚き火する」
 爆豪は轟を見ないまま、呼んで手招きしている。
 素直に近づいてしゃがみ込むと、見慣れないポーチの横に、荷物が広げられていた。休憩のために座ったわけではなかったのか、なんて思いながら火を向ける。
「この辺、燃えそうなもん何もねぇぞ。俺くらいしか」
「テメェの人間焚き火はたまに火柱出すだろうが」
「火柱ほどじゃねえ」
 火力を褒めてくれるのは嬉しいがと眉を下げると「褒めてねンだわ」と鼻で笑われて「テメェの代わりだ」と言って何かを地面に置いた。小さい立方体だった。
 あご先で促されるままに炎を向ける。ふーっと細く吹き込めば、立方体の上面に火が移り、想像以上に大きく燃え始めた。
 思わず驚いて「お」と声をもらす。
 それでも焚き火と言うには小ぶりだが、暖を取ったり多少の食料を温めたりするには足りそうだ。
 そこでふと、記憶が蘇る。
「こいつ、あれか? まだ発売されてねぇと思った」
「よく知ってんな。こいつは試供品だ。使えるかと思って持ってきとったが、丁度良かったな」
 爆豪の指が「どこでも焚き火君(試供品)」と書かれた紙をつまみ上げると、あっさりと火にくべた。
 さすがに安直な名前すぎるなと思いながら、灰が風に吹かれていくさまを見送る。サポートアイテムのネーミングセンスは、かっこよさ重視派とわかりやすさ重視派との間で、なかなかに深い溝があるとかないとか。
「……どこでも焚き火君」
 名前を反芻すると爆豪が小さく吹き出した。わかりやすさと面白さは紙一重なのかもしれない。
 轟が発売前のこのアイテムを覚えていたのは、登山に持っていったら便利だろうか、と考えたからだった。
 つまり爆豪の趣味。
 連想したから印象に残った。だが自分自身にはまるで必要のないアイテムだったので、続報を追っていなかった。
 爆豪はもっと具体的に興味を示したから、試供品を貰うところまでいったのだろう。それかセールスに来られたか。
「そのポーチも、新アイテムかと思ってた」
 地面に投げされていたポーチを指さす。どこでも焚き火君などを入れるために、わざわざ持ってきたのだろう。爆豪のコスチュームは、収納が限られている。
「ンなわけあるか。ダッセェだろ」
「そうか? まあ、コスには馴染んでねえか」
「それがダセェんだよ」
 投げやりに指先を振ると、爆豪は地面にどっかりと腰を下ろし、足を投げ出した。その左となりに、並ぶように腰を下ろす。
 肩が触れるほど近くに座っても、爆豪は何も言わなかった。だが、炎を出す応用でわずかに体温を上げると「余計な体力使ってんな」とどつかれる。
 くっつくだけなら良いのかと個性の使用をやめ、もう少しだけと距離を詰める。これに文句は返ってこなかった。体が触れあう。どこでも焚き火君は一定の火力を保ったまま、静かに揺らめいている。
「飯にするか」
「そうだな。レーションあるぞ」
「こっちにもあんだよ」
 お互いの食料を並べて確認し合ったところ、ざっくり一週間は生き延びることが出来そうな量があった。節約して食べた場合の計算だが、思ったよりも量がある。多少は安心して遭難出来そうだ。元よりろくに心配していないが。
「山って聞いてたから持ってきてたのか?」
「まーな。けどやっぱダッセェし、この期に専用アイテム作るか」
「いいな。コスの拡張パーツ多いヒーローも居るし。現場別にカスタムすんのとか、なんかカッコイイよな」
「初動が遅れっけどな」
 お互い拡張パーツはほとんどない。基本のスタイルで完成だ。爆豪は冬専用装備があるが、それくらい。
 爆豪のコスチェンジで冬を予感し、春を感じる。マニアなニュースサイトは毎年記事を出す。桜の開花予想ならぬ、ダイナマイトのコスチェンジ予想を出し、爆豪は度々顔をしかめていた。予想通りになるのが嫌らしい。

 レーションをもくもくと頬張る合間に、ポーチから浄水器を取り出す。小型な上に折りたたみ式で、携帯性が高い。年々小さく高性能になっていくサポートアイテムを見る度に、発明科に所属していた同級生達のことを思い出す。直接の接点は少なかったが、こうして別の舞台で戦い続けていることを感じると、もう少し話せば良かったと思うことがある。
 氷を生成し、炎で溶かし、浄水器に注ぎ込む。個性で作った氷は飲料として使用可能であったが、周囲の環境によっては不純物を取り込んでしまうので、濾過は必須だった。
 出来上がった水をボトルに移し、爆豪に渡す。文句を言いたそうな目でじとりと睨んだ後、必要な分だけ飲んでさっさと突き返された。
 何が不満なのだろうなと不思議に思いながら、同じボトルに口を付け、残った分はポーチにぶら下げる。
 食事はあっという間に片付いた。
 まあまあ美味しいレーションを頬張っていると、帰ったら爆豪の手料理が食べたい、という考えが脳内いっぱいに広がってきた。今まで食べた数々の手料理が思い出されてくる始末だ。料理を手伝って、一緒に食卓を準備し、向かい合って食事を取る。ああいう時間が恋しい。
 さっさと脱出して、一緒に家に帰りたい。どこでも焚き火君の火の色を眺めながら、そんなことを考える。

 まあまあ美味しいレーションは、あっという間に食べ終わってしまった。効率重視の食事だけある。
 休憩と言うには短すぎるため、もう少し休んでから移動を再開することにした。肩を寄せ合い座り込んだまま、揺れる火の色に目を向ける。
「爆豪的には、こいつどうだ? どこでも焚き火君」
「……サポとしてはあり、趣味としてはナシ」
「なしか」
「面白みがねェ」
 それはそうだなと、淡々と燃え続ける様子を眺める。爆豪と一緒に登山したときに見た、あの焚き火の色とは比べるまでもない。不規則に炎が揺れることも、薪を燃やして音を立てることも、煙の匂いがすることもない。
 もし轟がこれを登山に持っていったとしたら、爆豪は極めて冷ややかな目を向けてくるに違いない。一般発売されたらいくつか欲しいところだが、やはり仕事用だなと爆豪と同じ結論に至る。
「そういや、最近は登山行ってるか?」
「言ってねぇわ、知ってんだろ」
「……だよな」
 確かにここ一年ほど、登山にいった話を聞いていない。
 お互いのスケジュールは、ほとんど全てと言って良いほど把握していた。仕事の細かい内容はさておき、どこへ行く予定だとか、今日は休みだったから何をしていただとか、誰と会うだとか、よく話す。
 聞かれるのではなく、話していた。
 元々轟がなんでも直ぐ報告するので、それが爆豪にもうつったのだと思う。一方的に知るのはフェアではないと考えている可能性もありそうだ。
 それでも爆豪のことだ、出張だとか任務の合間に要領よく出掛けているのではないかと思ったのだが、そうでもなかったか。
 足を痛めたことは話さなかったくせに、プライベートの報告はするりとさらりと、全て寄越される。
「予定空けろ」
 ふと爆豪がそう言ったので「え、おう」と半ば反射で頷きながらも首を捻る。
「でも俺の予定知ってるだろ」
 そう返せば呆れられる。わざわざ言うなんてどんな予定なんだとしばし考えて、ああ登山に行きたいのか、と理解した。
 報告はしてくれるくせに、度々言葉足らず。そのあたりが爆豪らしい。それでもって、隠した言葉から照れくささが垣間見えたりして、可愛げがある。
 などというと間違いなくどつかれるので、肩を寄せるに留めた。「寒くねぇか?」
「熱源が二つもあっからな」
「そうか」
 寒くないなら良いのだが、どことなく惜しい気持ちがわき上がる。
 遭難した時に寒さを口実に寄り添う展開を、漫画で読んだ覚えがあった。雄英の寮で、女子が集まって漫画を回し読みする流れに加えて貰った時に見たのだったか。
 だが爆豪はオンオフの切り替えがはっきりしているので、そんな展開にはならない。ヒーローのコスチュームに身を包んでいる間はキスの一つもさせてくれない。
 そう思うと、こうしてくっつくことを許している時点で、かなり譲歩されている気がした。
 触れあった肩から体温が伝わってくる。洞窟の中は暗くて、静かで、どこでも焚き火君の灯りだけがぽかりと周囲を照らしている。
 これが、世界に二人っきりみたいだ、というシチュエーションなのかもしれない。
「遭難してなかったら、今って結構良い雰囲気だよな」
「……どこがだよ」
「二人っきりだし、静かだし?」
「ハッ」
 小馬鹿にするように笑ったくせに「まあ」と言って爆豪は上を見上げた。
「見えんのが星空だったら、そうだったかもな」
「キャンプもいいな」
「連休作れや」
「がんばるな」
 しかし登山とキャンプは共存できるものなのだろうか。一泊しなければならない山に登ればいいのかと考える。
 趣味の登山としてはなかなか過酷そうだが、任務だと思えば難しくない。だがそこまでいくと、果たしてデートと呼べるような状態なのだろうか。
 思案していると「ろくでもねェこと考えてンだろ」と頬をつままれた。まったく痛くはないし、直ぐに離される。焚き火の色が映り込んだ爆豪の瞳は、どことなく愉快そうに緩んでいた。
「爆豪とならサバイバルも楽しいだろうなって」
「キャンプどこやったよ」
「実際今だって、楽しいって言ったら変だが、なんつうか……一人だったらどうしてただろうな、って思う」
 真っ暗で広い洞窟の中で、ひとりっきりだったのなら。
 出口の見えない道のりを炎であぶり出しながら、右に行くにも左に行くにも、進むも戻るも一人で決めなくてはいけない。休むかも自分で決め、自分の灯りを頼りに食事を取って、体を休めて、そうしてまた歩き出す。
 出口までずっと、ひとりだ。
 だが現実はとなりに爆豪がいる。
 一泊二日で登山をするとして、一人ではそこに面白みを見いだせるか分からないが、爆豪と一緒だと思えばただ楽しみだった。そういうことなのではないか、と考える。
 触れる肩は温かで、目の前にはどこでも焚き火君の火が揺れていて、こうして全く関係のない雑談までしていた。
「道連れにしてよかったろ」
 そういった声が緩やかに笑って聞こえて、驚いて目を向ける。爆豪は赤い瞳を細めて、轟を見ていた。
 それも直ぐにそらされて、またいつも通りの横顔にもどてしまう。もったいない、なんて思った矢先、爆豪の頭が肩が乗せられた。体重をぐっと掛けられて、少し重たい。けれど温かい。
 それから、くすぐったい。
「まあ、テメェ一人でもどうかなっただろうけどな」
「そう、か?」
「やれんだろ」
 事実を確認するように言われては、頷くほかない。
 きっと一人でも、どうにかした。何かしら考えて歩き回り、出口を見つけて脱出したか、誰かに見つけられるまで生き延びただろう。一人だったとして、死ぬ気ははない。
 どうにかしたはずだ。
 それでも今となりに居てくれることを、嬉しいと思う。
 体重を預け合いながら支え合う。一人でもどうにかできた。でも二人だから、絶対にどうにかなる。
 そう思えた。
「なあ。帰ったら麻婆食いてえ。最近食ってねぇだろ」
「俺は食った」
「ハ?」
 自分の好物もいいけれど、好きな奴の好物を一緒に食べるのもいいよな。なんて思って口にしたら、あっさりと裏切られてつい声が低くなった。
「辛くしてぇから、一人の時に作って食ってンだわ」
「そ、それでも、たまには誘ってくれてもよくねえか」
「テメェも一人で蕎麦食ってんだろ」
「う」
 それは事実だ。爆豪が出張でいないからといって、蕎麦を選んで食べることもある。だが一緒に食べることだって勿論ある。
 辛い物の時だけ仲間外れはよくないだろうと思うも、実際爆豪ほど辛いものが得意ではなかった。というより、爆豪の辛さへの耐性が格別なのではないか。「寒さと暑さだったら俺の方が強いのに」と負け惜しみを言ったことがあるほどだ。
 でも、と悔しさ混じりに唸る。
「たまには一緒にたべたい」
 辛くて涙目になる轟を見て「ほれみろ」と愉快そうに口の端を持ち上げる姿も、たまには見たい。それに、そろそろあの辛さにも耐えられるのではないかという、出所不明の自信もあった。
 爆豪が息を吸い込んでから吐き出した「しゃあねえな」は、それはもう柔らかな呆れを含ませていた。
「じゃあ次の休みな。昼に麻婆食って、夜は蕎麦にしよう」
「ちゃっかり蕎麦食うじゃねえか」
「いいだろ」
 一緒に暮らしているのだし、お互いの好物ばかり食べる日があっても。言えば「蕎麦はいっつも食ってんだろ」と反論された。
 空気が漏れていくような、長く細い溜息が爆豪の口から漏れた。同時に肩から力が抜けていく。ふわふわとした金色の髪に、頬をくすぐられる。爆豪は緩慢に瞬きを繰り返していた。眠る直前みたいだ。
「寝とくか?」
「おう。んで、明るくなったら帰ンぞ」
「明るく?」
 この真っ暗な洞窟では、日が昇っても分からない。不思議に思って問い返すと、爆豪が人差し指を上に向けた。
「さっき気づいたが、デッケェ穴開いてる」
「マジか」
 指の先を追うように顔を上げて、目を凝らす。じっと睨んでいると、天井の色が違う部分があることに気づいた。かすかに瞬く星まで見える。
 あの高さなら、氷柱を作れば十分上れる。ここには障害物もない。
「道連れにして、よかったろ」
 爆豪はまた得意げにそう言った。