五回に一回は面白い

 
 
 
 
 

 風呂を上がって軽い身支度を済ませると、脇にポテトチップスの大袋を抱えた。映画を見ようと誘われた直ぐ後に買っていたものだ。寮のとなりの部屋を訪ねるための手土産が必要とは思わないが、なんとなく習慣づいていた。映画を見ながらお菓子をつまむのは、まあ、楽しい。
 念のため程度に部屋の鍵を持ち、廊下に出て鍵を掛けた。そこから五歩も歩かないうちに目的地に辿り着く。今し方閉めたドアと全く同じデザインのドアを軽くノックする。
「虎杖」と呼びかける。
 寮の部屋の行き来というのは、意外と多い。虎杖だけでなく、釘崎や先輩も混じる。みんなで集まるときは不思議と伏黒の部屋になることが多かった。結果的にというか、虎杖の部屋というのはどうにも、二人きりの印象が強い。
 程なくしてドアの向こうから「はーい」と陽気に間延びした声が聞こえてきた。
 勝手に入って鍵は開いているから、とよく言われるが、親しき仲にも礼儀は必要だろう。身近に、ドアとは突然勢いよく開けるものと認識していやしないかと疑う大人がいるため、余計にそう思う。
 それに、足音が近づいてきてドアが開きその奥から虎杖が顔を見せる瞬間のことを、結構楽しみにしていた。記憶の中の光景が現実に重なる。虎杖が顔の全てを使ってにまっと笑った。
「おっそいぞ、伏黒。待ちくたびれちゃった」
「は? 時間通りだろ」
「いやまあね、そうなんだけど」
 部屋の中に踏み込み、ちらと壁掛け時計に視線を送る。約束は九時だし、今はその二三分前だ。虎杖は「飯食って別れたのが七時じゃん? 二時間って結構長くない?」ともにゃもにゃ言っている。視線を流せば、虎杖の髪がうっすら湿っていた。暇を持て余して筋トレでもしていたらしい。流しにプロテインシェイカーが転がっている。
 いつのまにか虎杖と二人、映画を見ることが習慣付いていた。
 といっても、虎杖が声を掛けてこないと開催はされない。それでも結構な頻度で誘われていたら習慣らしくもなる。定期的に虎杖が堂々と時にひそひそと「今回のは絶対伏黒も気に入るから」と思わせぶりに誘ってくるのが映画鑑賞だ。
 死んで戻ってきてから、虎杖には映画鑑賞の趣味が増えていた。
 ただ、趣味が悪い。
 早々にそれに気づいた釘崎や先輩は虎杖の誘いを回避するようになり、結果伏黒だけがこうして部屋に呼ばれるようになった。映画館まで足を運び変な映画を観るのは堪えるが、虎杖が借りてきたDVDを部屋で一緒に見るくらいならいいかと、一回受けた後なんだかんだ続いてしまっていた。
 それにしたって趣味は悪いのだがと、テレビに表示されているDVDのメニュー画面に目を向ける。画質の荒いチープな構図にの上にビカビカとタイトルが光っていた。見る前から分かる。あれは面白くないほうのやつだ。一瞬眉を寄せるが、面白さを期待しているわけでもないので諦める。それに、五本に一本くらいは面白いこともある。
 映画趣味はいいが、何故B級映画に面白みを見いだしてしまったのか。原因は虎杖に修行と称して映画を見せた五条ではないのかと、時々恨めしく思う。でもあの人は映画鑑賞が趣味かというと、どうにも違うように感じられた。持っているDVDも古いものばかりだし。結果、虎杖がシリーズの続きをレンタルしてきてしまうという問題は発生しているので、やはり五条のせいかもしれないのだが。
 抱えていたポテトチップスの袋を虎杖に手渡すと、即座にバリッと音を立てて開けた。部屋の真ん中にある小さなローテーブルの上には、マグカップが二つと、コーラの二リットルペットボトルが置かれている。
 赤と黒のラベルをじっと睨みながら、定位置に体を落ち着けた。高専の寮にソファなんてしゃれた物はないし、虎杖とソファというのもまたあまり結びつかない。というわけで、床に投げ出されたクッションに腰を下ろすのが定番になっている。
「別の飲み物ないのかよ」
「映画って言ったらこれでしょ!」
「コーヒーとはいわねぇから、せめてお茶とか」
「え?」
 初めて聞いた単語を聞き返すようなすっとぼけた表情を作り、虎杖がポテトチップスの袋をテーブルの真ん中においた。今日はノリ塩だ。前回が塩で、前々回がピザ。
 お茶すらないのかこの部屋はと絶句しかけたところで、虎杖がぐっと親指を立てた。
「あるよ!」
「あんのかよ」
「今いる?」
「……まずはコーラもらう」
 今まさに、プシッと音を立てキャップが捻られたペットボトルを視線で示す。二リットルを一人で飲むのはさすがに無理だろう。「だよな!」と眩しく言うと、素早く氷を取って戻ってくる。そこにコーラが注がれ、氷を揺らして細かな泡が弾けていく。シュワシュワの泡を落ち着かせ、マグカップの縁ギリギリまで注がれるコーラに「おい」とたしなめれば笑い声が返ってくる。
「そんじゃ再生するなー」
「おう」
「今日のは大作スプラッタコメディの一作目です」
「二作目もあんのかよ。つかスプラッタとコメディって両立すんのか」
「するんだよねこれがー。ちなみに四部作ね」
 四作も続いたということは面白いのかもしれない。という期待はしないほうがいいと体感で知っていた。説明うるさく始まる冒頭を眺めながら、ポテトチップスに手を伸ばす。パリッと咀嚼する横で、虎杖が今どういうシーンなのかを説明してくれていた。後々今の説明が云々、と思ったら三作目で云々。「へー」とか「ふーん」とか相槌を挟みながら、コーラに口を付ける。炭酸が口の中で音を立て、弾けては喉の奥に流れていく。
 正直、映画は全く面白くない。
 十分経っても十五分経っても、面白さをまるで見いだせない。虎杖がコミカルに解説し、科と思えば突如に冷静になり「このシーンの存在理由、マジで意味わかんないんだけどさ」とまるで自虐のようにぼやく。そういう姿を眺めている方がよほど面白かった。
 しかしその百面相をじっと見ているわけにもいかず、視線はテレビへ向けている。前に眺めすぎて「俺じゃなくて映画見てくれますかね伏黒さん?」と怪訝そうに訊ねられたことがあった。あの時は「この映画面白くねぇから」と素直に答えて虎杖の肩を落とさせた。
 それでもたまには、虎杖の顔を見る。多分今面白い顔をしているよなと声から分かる瞬間だとか、ジェスチャーが大げさになる瞬間だとかに。
 そうしてふと、不思議な気分になる。これまで、虎杖と出会うまでは、先生と生徒、先輩と後輩、姉と弟という見上げるような関係ばかりだった。同級生という対等な立場で横並びになったのは、初めてかもしれない。
 血筋だとか、術式だとか、五条悟の教え子だとか、虎杖はそういう事をまるで気にしない。それがどういうことかすら分かっていないのではないか。軽口を叩かれ叩き返す、そこに大した気遣いはない。気を抜いて、足を投げ出して、何も考えずにお菓子に手を伸ばす。居心地がよかった。
「あれ伏黒、髪濡れてんじゃん。もしかして暑い?」
 ひょいと、虎杖の指先が首筋を掠めた。驚いたことを悟られないように、首を傾げてやりすごす。即座にエアコンのリモコンに手を伸ばす虎杖を「いや」と止める。
 こいつは人をよく見ている。
「風呂、入ってきた」
「髪の毛自然乾燥派だっけ?」
「今日暑かったからな」
「分かる。暑い日のドライヤー地獄だよなー」
 しみじみ頷きながらも、虎杖は室温を一度下げた。
「んじゃ今日はいつ寝落ちしてもいいな!」
「寝落ちするような映画なのかよ」
「最後、最後は絶対面白いから! びっくりするから!」
「推理物だと思ったら宇宙人出てきた、みたいなやつはいらねぇからな」
 前に見たびっくりのオチを口にすると、虎杖が顔のパーツ全てを中心に寄せるような顔のしかめ方をした。虎杖の変顔を見ていると、表情筋の豊かさ感動を覚えるようだ。
 それはそれとして、まさか本当にそういうオチなのではと焦りを覚え「おい、反論しろ」と急かす。虎杖は別の変顔を作ってこちらの笑いを誘ってくるので、この映画はダメらしかった。どこをどう動かせばそんな表情を作れるのか全く分からない。溜息を吐いて、ベッドにもたれかかる。
 テレビに視線を戻すと、場面が変わっていた。急に話が動いたように見えて、展開に全くついて行けない。ここは虎杖に解説をさせるかと顔を向ければ、また別の変顔をしていた。
 ついに堪えきれず吹き出し「それやめろ」と軽く握った拳で肩を叩いた。

 映画が終わった後、虎杖は正座していた。
 スプラッタコメディは伏黒が危惧したとおり最後二十分くらいで宇宙人が介入してきたし、虎杖は「二作目は宇宙に飛び出すからSF……スプラッタファンタジーって言われてて……」などと、妄言なのか事実なのか怪しむようなことを口にした。
 結論は「面白くはなかった」だ。ずばりと切り捨ててしまえば、虎杖は正座を崩して両手を挙げ「ダメかー!」とベッドに飛び込んだ。ぎっとベッドが鳴り、マットレスの上で高校一年にしては分厚い体が跳ねる。
「なんでいけると思ったんだよ」
「いやね、二回目見ると分かるんだけど、意外と最初から宇宙人の話してんの。すごくない?」
「二回目みねぇからな」
 どうして複数回これを見たんだこいつはと呆れて、腰に手を当て項垂れる。スタッフロールを眺めながらマグカップを洗って、いつの間にか空になっていたポテトチップスの袋は捨てていた。結局コーラだけで済ませてしまったので、口の中が甘い。
 さて部屋に帰るかというところで、虎杖に手を掴まれた。握ると言うにはささやかな、指先をつまむような仕草に心臓が跳ねる。虎杖が下手からうかがうように、それでいていたずらっ子のような笑みを隠しきれずにこちらを見上げていた。
「二作目いつ見る?」
「……別のにしてくれ」
「あ、やっぱり?」
「もっと普通の名作系ないのかよ」
「あるある。有名なモノクロ映画とかさー、現代まで残ってるだけあってやっぱ良いよ」
「どうしてそうなんだよ」
 もっと誰もが知っている現代の有名どころだってあるだろう。というツッコミすら面倒になり溜息を吐く。
 指先が離れたのを見計らい「じゃあ」と足を踏み出した。「伏黒おやすみー」という背中に当たったのんきな声に振り向いて「おやすみ」と返事をして部屋を出る。
 ドアを出て、またほんの数歩を進んで、となりのドアの中に入る。はあ、と一つ息を吐き出して、指先に視線を落とす。指を握る熱い体温の感覚がまだ残っていた。
「……今日もなんもなかったな」
 ぼやいてベッドに飛び込む。このままじゃ準備ばっかり上手くなりそうだ。

 
 
     ◇◇◇
 
 

 よっこらせ、と体を起こす。
 伏黒も帰ったし、風呂に入って歯を磨いて寝るかとベッドから降りる。今日のもダメだったか。どんでん返し系は鉄板で面白いと思ったのに。面白いB級映画を勧めるのは一旦お休みして、次は鉄板名作映画から選ぼう。あまりつまらないのばっかり勧めたら伏黒だって来てくれなくなるかもしれない。
 はて、かなりの割合で「面白くなかった」と切り捨てていく伏黒は何故今も映画鑑賞に付き合ってくれるのか。意外と映画好きなのかもと軽く結論付け、裸足で床板を踏み、洗面所兼脱衣所へ入った。
 あくび交じりにTシャツを脱ぎ、ふと鏡を見ると目元の口が開いていた。宿儺だ。このところ飽きて寝てしまったように静かだったので珍しい。
「なんだよ」と鏡の中の自分の顔に向けて睨む。
 目元の口はパクパクと二度ほど動くと「はぁ」と溜息を吐くだけ吐いて閉じてしまった。
「マジでなんだよ?」と声を裏返させる。「気になんじゃん!」
 しかし以降なんの反応もなし。
 自分で自分の頬を叩き「おい、おーい」と呼びかけるも無言のままだ。頭の中も静か。口が開いたことが幻だったかのようだ。意味が分からない。
 腕を組んでぐぐっと体をよじる。気になる。でも宿儺の言葉に耳を貸さない方が良いのも事実だ。溜息一つだけ、もしかしたら寝言だったのかもしれないし。
 まあいいかとタンクトップを脱ぐ。とりあえず風呂だ。