(夏+ミミナナ)
「夏油様、髪を梳かせて」
「私にも」
古びたビルの屋上、物干し竿に観葉植物、可愛い椅子が一つと、私達と、夏油様。日差しは柔らかく風は温かだ。そんな時期だったかなぁとこの直前、寒々しくも灼けるような温度を片隅に思い返す。比べて今の穏やかさといったらなくて、私達の記憶の一番恋しくて優しい思い出を深く実感する。
小さかった私達も背が伸びて、強くなって、たくさん勉強をして、それで、夏油様の大事な思い出を少し分けてもらえるようになったあの頃。
このところ美々子の髪ばかり梳いていたなぁなんて、ほんの少し前の記憶を懐かしむ。その美々子は今私のとなりに立って、一本しかなかったはずの櫛を同じように握っていた。
夏油様の髪は美々子よりずっと多いし癖がある。絡まり引っかからないよう、毛先から梳かしていく。
夏油様の膝の上に、本は無かった。くすぐったそうに指先を遊ばせて、今ははにかんでいるのだろうと分かる。私達は十年一緒に居たもの。それくらい分かる。
分かるよ。
黒い髪を指ですくい、丁寧に丁寧に少しずつ櫛を通しながら、美々子と肩を寄せ合う。なんだか泣けてきてしまった。「私達、夏油様と一緒に生きられて、幸せだったよ」と囁けば、私もだよ、って返してくれる。分かっている。それが本当だって知っている。私達を大事に大事に育ててくれた。
私達はこの人が大好き。
私達だって、この人が大好き。
「結んでもいい?」
お願いしようかな。という優しい声を聞きながら、耳の下から髪をすくい上げ、全てを両手の中に収める。ぐっと持ち上げ、梳かして、まとめて、美々子の差し出したヘアゴムを受け取る。
私達が初めて会ったとき、夏油様はこの髪型だった。きっちりまとめ上げたおだんご一つ。今はもうこうするには長すぎたはずなのに、不思議と髪は丁度良い長さに収まっていた。出会った後直ぐに夏油様は髪型を変えてしまったので、実はあまり見覚えがない。けれど凄く懐かしい。
結んだ髪から手を離し、私達は最後に一度ぎゅっと夏油様の背中に抱きついた。あの日見た背中。ずっと大きな背中だと思っていたけれど、あの時の背中は今よりちょっと小さかったんだと気づいてまた少し泣けてしまった。
「夏油様、私達は先に行くね」
並んだ美々子と手をつなぎ一歩後退って、笑って手を振る。夏油様は最後に私達の頭を撫でてくれた。視線の高さが近づいていて、なんだか変な感じ。それでもやっぱり懐かしい。
夏油様はこの後も、五条悟を待つのだろう。
私達はアイツのことなんて待ってやらないから、先に行く。いいの私達は十年もらったから。大事な大事な大事にしてもらった十年だ。その十年で私達は、貴方達がどれだけお互いを想っていたか、ちょっとくらい理解したつもりだ。
受け取れ五条悟。
「じゃあね! 夏油様!」
私達は先に行く。
だからビルの屋上、ここにはもう二人しか居ない。
南に向け、風が吹いていた。