互いのためにあつらえた二人

(五夏 0後の五+家)
 
 
 
 
 
 
 

「互いのために互いをあつらえたみたいだ」
 そう思ったことがある。なんてことない思い出話だ。

 口から飴の棒を生やした五条がそこに居た。「や」と手を上げ笑うシルエットに見覚えがあって、まったく溜め息が出そうになる。
 窓の外で雪が積もっていた。
 高専の敷地にはまだ残穢がどっぷりと漂っていたが、この雪でいくらか薄れたように感じる。
 煙草も吸っていないというのに息は煙っている。疲れ切った状態で相手にしたい奴じゃないな、と薄情なことを思いながら「よ」と返す。換気と気分転換のために開けた窓を閉める。「ちょっとちょっと」とガラス一枚向こうに隔たれた五条が戸惑って見せていた。
 ストーブの前に置いた椅子に腰掛ける。暖まるように手をかざす。コーヒーでも淹れようかと考えていると、間隔の広い足音が聞こえてきた。そこに人が居ることをアピールするような軽快な音と共に引き戸が開き、五条が入ってくる。
「なにか用か?」
「いんや、ただの休憩。硝子も休憩中でしょ。混ぜてよ」
 こちらの答えを待つこともなく五条は椅子を引きずりながら「食べる?」と飴を差し出した。頬を膨らませている物と同種らしいそれを断ると「じゃあこっちあげる」と缶コーヒーを投げて寄越した。なにが「じゃあ」だというのか、ブラックのくせに。
「ありがたくもらっとく」と受け取った缶を両手で握りしめて暖を取り、それからプルタブを引き上げた。嗅ぎ慣れた香ばしい匂いに一息吐く。五条は飴の棒を掴んだまま、ストーブの内で揺れる火の方を見ていた。目隠しをした五条の目にそれがどう映っているのか私は知らない。
「心の底から笑えなかったって言われちゃった」
 脈絡もない言葉に、まつげを持ち上げるようにゆっくりと、視線をあげる。笑った口元から出てきたにしては静かな言葉だった。舌に残るコーヒーの味がまったく苦い。けれど、こいつがこんなことを話しにわざわざ歩いてこられることを、よかったなと思う私も確かに居た。
「それが事実なら、五条が居なければもっと笑っていなかっただろうな」
「やだなあ、何の話か言ってないでしょ」
「作り笑いの愛想笑いが得意な奴の話だろ」
 それでもって、この話をよく今私に持ってきたな、と蹴りの一つも入れてやりたくもあった。勝手に決めて勝手に処理して、それで勝手に雑談を持ってくるとは、勝手の極みのような奴だ。
 飲み慣れた缶コーヒーの味が喉を滑っていく。高専に入っている自販機のラインナップなどたかが知れていた。生産終了と新商品の入れ替わりで少しずつ移ろっていくが、ブラックコーヒーの味は大きく変わらない。
 十年前からこれまで。
「せっかくだし私の秘密も今のうちに教えてやる。入学当初、学校生活終わったなって思ってたよ」
「担任が可愛いばっかり作ってるオッサンだったから?」
「二人しかいない同級生が、自分かそれ以外しかない坊々と、自分が強者側だって分かって振る舞ってる奴だったからだよ」
「……あ、坊々って僕? そんな感じだった?」
「まだマシに言ってる」
 飴の棒をつまんでとぼけているが、本質は今も変わっていないだろうに。ただ振る舞うことが上手くなっただけだ。どこかの誰かのように。
「その上、入学早々喧嘩してただろ。仲良くなれる気がするわけない」
「あはは。したねえ、喧嘩」
「かと思ったらあっという間に仲良くなって、下の名前で呼び合ってべったりだ」
「いやー僕達だって結構紆余曲折あったよ」
「そんなもの、一瞬だったろ」
 学生生活を諦めかけたところに差し込んだ、歌姫先輩という光と授業以外の時間のほぼ全てを過ごしているうちに、気づけば二人は打ち解けていた。仲良くなっていた。距離がなくなっていた。
 言葉を一つに選べないような衝撃が、あそこにあった。
 絶対に馬が合わない二人だと思ったのに、全く似てないくせに、あっという間にこれ以上無いほどぴったりかみ合ってみせた。合わないパズルのピースを回してみたら、あっさりとはまったように。
「喧嘩もいっぱいしたと思うけどなあ」
「喧嘩が出来るほど仲が良かったんだろ、あんた達は」
 世界中の誰も、五条と喧嘩なんて出来やしない。多少揉めるのが関の山。私だってそうだ。
 喧嘩になんてなれない。本気で喧嘩をしたら負けると誰もが分かっている。挑まない。普段ふざけている五条がもし、本気で喧嘩に取り合ったら、無残な結果が待っているだけだ。皆どこかでそう分かっている。
 けれどまぶたの裏には確かに、喧嘩をする五条の姿が残っている。それもうるさいほどに沢山と。
「ま、そうかもね。もう僕とは誰も喧嘩してくんないか。七海だって文句言うだけだし、学長だってちょっと怒るだけだしさ」
「後輩にあまり嫌がらせをするなよ」
「言い方ひどくない? 僕だって傷つく心くらいあるよ」
 むくれる言葉に意味もなく笑って、手の中にある缶に視線を落とす。それくらいでは傷つけやしないくせに。
 寒い季節、缶コーヒーはあっという間にぬるくなる。
 たとえば。
 私は歌姫先輩が大好きだけど、世界中を探せばあと二人くらいは同じだけ好きになれる相手が見つかるだろう。現実の話。とても他の人に代えられないが、もう二度と同じくらい好きになる相手を見つけることが出来ないと断言することは出来ない。誰だってそうだ。
 けどこいつらは世界中のどこを探しても、お互いしかいないに違いない。五条のとなりに並べる奴が居ないように、夏油のとなりに立てる奴もいないだろう。
 あいつは人当たり良さそうにしてるが、意外と面倒くさい奴だった。けれど五条は夏油の一番面倒くさい部分を、まるで意に介さなかった。笑えなかったんだって、なんて遺された言葉を口にしながら飴をなめている。そんな言葉を思い出話の導入にするなというものだ。
 笑いが余って溜め息がにじみ出た。
 せめてどちらかが、寄りかからないと立てない日がある程度に弱さのある奴だったのなら、別の道もあっただろう。だがそうするとこいつらは、互いのためにあつらえたような二人ではなくなってしまう。
「僕の秘密もなんか話した方がいい?」
「興味ない」
「えー」
 ほんと、お似合いだったよあんた達。
 そう言ってやるかは悩むところだ。