(ユニバース後に一緒に住んでる綾主)
目を開けると知らない景色が見えた。
ふわふわとくすんで、ゆらゆらと輝いている。
おやすみなさい。と大事な彼と言葉を交わして眠りに着いたのが最後の記憶。僕と彼の寝室の天井は星空がプリントされた壁紙が貼られていた筈。星の名前が知りたい、って言った僕の為に拵えてくれた星空の天井。星座の名前が中々覚えられなくて、ところどころ書き込みがされている。その書き込みもむなしく、未だオリオン座しか分からないけれど。
だがどうだ。ここは天井なんてなく吹き抜けている。でも空が見えているわけでもない。空と言うには真っ白で、優しい色をしたスモークみたいな空気が漂っている。ぼんやりとしているけれど、霧の様に覆い隠すわけでない。僕の知っている一番近い表現で例えるなら「夢みたい」だ。
横たわっていた体を起こす。起きてみると足元には星空が広がっているのが見えた。いや、星空みたいな地面、というのが正しいのか。星空に見えるけれど、確かに地面で、空に浮いているとかそういう感じは全く無い。しっかりと踏みしめられる。
さて、と立ち上がる。ぐるりと見回すと、自分の後ろに小さい子供が立っているのが見えた。子供はぼんやりとこちらを見ている。
歩み寄って目の前にしゃがみ、目線を合わせる。グレーダイヤモンドの瞳がぱっちりとした、深い海の色の髪をした子供。
「どうしたの」
優しく問い掛けると、子供は目をぱちりと瞬かせた。
「なくしちゃったの」
「どんなものを?」
「わかんない。分からないけど、なくしちゃったの」
首を傾げたその子の顔を覗きこむ。あまり困ってる様には見えないけれど、どこか淋しそうな顔をしている。
「探すの手伝おうか?」
「いいの?」
「勿論」
にっこりとそう頷けば、子供は少しほっとした顔を見せた。
「じゃあ、探しにいこうか」
「うん」
立ち上がって手を差し出すと、ゆっくりと小さい手が乗せられた。自分の掌の半分ほどの、小さな、子供の掌。
両親を亡くした直後くらいの、幼い深月の掌。
僕と彼という存在は、とても近しいものだ。
彼が封印を行い、向こうで死に、ここでシャドウや僕やニュクスと同じ様なものとしてひっそりと存在するようになってからは、より一層。イコールで結べそうなくらい、近くて同じ存在。姿も考えも全く違うのに、別の個体である筈なのに、驚く程近しい存在だ。それは彼が僕を10年も封印していたからかもしれないし、僕が彼に果てしない愛情を以って望月綾時となったからかもしれないし、どちらもかもしれない。
だからか、僕と彼が寄り添って寝ていると影響し合い見ている夢が混線することがある。今正に、混線している。繋いだ手の先に居る、小さな深月のつむじを眺めながらそう考える。
ただ、今回は混線したと言うより、彼の夢に僕が取り込まれた、が正解かもしれない。こういう事は時々起きる。主に彼の精神が何かしら不安定になった時。
「ねえ、なくしたものは思い出せそう?」
「わかんない」
僕は小さな彼の手を引いて、星空色の地面をゆっくり歩いた。歩幅の狭い彼に合わせて、ゆっくり、ゆっくり。
相変わらず世界はふわふわとゆらゆらと煌いていて、蜃気楼の様な幻の様な、そんな夢の景色を映し出している。ただ、良く地面を見ると、時折星の横に下手な字で星の名前が書いてある。どう見ても僕が寝室の天井に一生懸命書いたそれだ。やっぱりここは彼の夢の中なんだなあ、って気付いて少し笑った。
でも出来るだけ急がなくては。混線して取り込まれているとはいえ、どちらかが目覚めれば夢は醒めてしまう。その前に僕を夢に取り込んでしまうほど揺らいだ、彼の不安を見つけて可能な限り取り除いてあげたい。
「お母さんと、お父さん、居なくなっちゃった」
不意に小さな彼が口を開いた。
「二人を探してるの?」問い掛けると首を振った。「二人とも、探しても見付からない」
とても冷静な口調だった。子供には不釣合いの不似合いの。
僕は何だか泣きそうになってしまって、慌てて目元を擦った。
「あとね、他にもみんな居なくなっちゃって」
繋いだ小さい掌に力が込められたのが分かった。その手を離すまいと僕は一生懸命握り返す。
「先輩も、せんぱいのおとーさんも、ファルロスも、それから、それから」
「その、みんなを探してるの」
「……ううん」
そうやって小さな声で呟いて彼は寂しそうに緩く頭を振った。7歳くらいの姿をして7歳くらいの時の彼の記憶をしているけれど、現在の記憶も絡まっているらしかった。今までに居なくなってしまった人の話を、悲しそうに幼い姿の彼はする。
(綾時は死にたくないって、思ったことあるか)と、昨日に彼に問い掛けられたことを、僕は思い出していた。
(死にたくない……か。思ったことないよ)
僕はそう簡単に返した。死そのものであった僕に、死ぬという概念は無いし、もしあったとしても死とは避けられないものだ。死にたくないとか、そういう事ではなくて、死ぬものなのだ、と僕は思っていた。だから、そう答えた。
その時彼はとても悲しそうな顔をしていたのを、覚えている。
「ねえ!」
「な、なに……」
「もっとあっちの方も探してみようよ。進んでみれば、なくしたもの思い出せるかもしれないし、見付かるかもしれないよ」
僕は彼の手を引く。突然大きな声を出したからか、少し驚いていたけれど彼は小さく頷いた。ずんずんと進む。どこまでも、どこまでも。僕の落書き混じりの星空の地面を進む。
死にたくないって、きっと彼は思ったことがあるのだろう。むしろ思ったことが無い人間に、ニュクスの封印は務まらないとも思える。死にたいって思えばそれこそニュクスに取り込まれてシャドウになるだけだろう。
僕は死にたくない、っていうのがどういう事なのか、いまいち理解できない。かといって死にたい、っていうのもいまいち分からないけれど。殺して欲しいって思ったことはある、でもあれは死にたいとイコール、ではないと思う。生まれなければ良かったのに、って思ったことは、ある、けれど。でもそういうと彼は悲しそうにするから、僕はもう二度と言わないだろう。
死にたくないって思ったことあるか、って僕に問い掛けた彼は一体何を、どれだけの事を、思い出していたのだろう。結局人ではなかった僕には理解の及ばなかった何かを沢山沢山抱えているのだろうか。夢に僕を取り込むほど、悲しかったのだろうか。
もう彼の側に居て何かをしてあげられるのは僕だけだって言うのに。
「早く、なくしものみつかるといいね!」
「……うん」
「どんなものかな、綺麗なものかな。僕も見てみたいなあ」
「……うん」
僕は一生懸命話した。
こんなにも一生懸命話したことはないんじゃないか、ってくらいに。女の子をデートに誘う時だってこんなに一生懸命話さなかった。彼を放課後誘うのだってこんなに話さなかった。大晦日に彼を説得する時だって、こんなに。
だって、あの時は仕方がないよねってどこかで思っていて。世界が終わってしまうのだって仕方ないよねって。でも彼らが抗うって決めたんだからそれも仕方がないよねって。
でも今は彼と僕の二人しか居なくて、ここで僕が仕方がないよねって諦めたら、彼の心に悲しい苦しい色を塗りたくったままになってしまう。それも仕方ないよね、とは思えなかった。もう思いたくなかった。
彼を淋しいまま一人ぼっちにしておきたくなんてなかった。
僕はずんずんと進む。夜空色の地面を小さな手を引いて。ひたすら。どこまでも。
「僕が一緒に探すからね。見付かるまでずーっとずーっと。だから、だからね」
「大丈夫」
とても落ち着いた、優しい聞き馴染んだ声がしてはっと歩みを止める。ぎゅ、と大きな掌が、僕の手をしっかりと握り返してくる。
「もう一人じゃないから」
僕はゆっくり振り返る。ふわふわ揺らいでいた白い世界が、ぱちぱちと煌いている。僕の大切な、大好きな、いつもの彼が微笑んでいた。
「綾時がいるから、淋しくない」
はっと目が覚める。でも目に飛び込んできた見慣れた天井じゃない。グレーダイヤモンドの様に綺麗な瞳と目が合った。
「……おはよう」
「おはよう?」
「何で疑問系なんだ」
「えっと、起きた?」
「だから、おはようって」
「あ、そうだよね。おはよう」
ごろりと寝返りを打つと、天井には見慣れた星空(僕の下手な落書き入り)の壁紙が見えた。ベッドも、家具も、いつもどおりの寝室。
夢の中で最後に見えた彼の瞳と、目が覚めて真っ先に飛び込んできた彼の瞳が全く同じ色をしていたから、少し錯覚したみたいだ。
どうやら僕たちはほぼ同じタイミングで目が覚めたらしい。まだ少しだけ頭がぼんやりとしている。そういえば、彼のなくしたものっていうのは、ちゃんと見つけられたんだろうか。
ねえ、と問いかけようとすると胸の辺りを大きい衝撃が襲った。呻き声を上げようと思ったが見事な衝撃で、息が詰まってただびっくりするしか出来なかった。痛いし苦しい酷い。文句を言おうかと思うと、彼が胸のところに圧し掛かっていた。今の衝撃は、頭突きか。
「ご迷惑をおかけしました」と、居心地の悪そうな声がくぐもって聞こえた。
「ふふ、何の話」
「覚えてて言ってるだろ」
「うんまあ。君にならどんなに迷惑掛けられてもちっとも苦じゃないから、もっと頼ってね」
寝癖のついた深い海色の髪を撫でる。「十分頼ってる」って声が聞こえた。
それなら、嬉しい。