双葉

(綾主)

 何でよりによって、あれ、なんだろうか。
 少し、静かになった教室で頬杖を付いた。静かになったのは主に、騒がしかった集団が居なくなったからであって、以前はずっとこれ位だった気もする。それなりにまだ人も残っていて、喧騒もある。静か、と言う程でもない。だろう。
 そこで再びの、何故よりによってあれなのだろうか。という疑問だ。あれ、というのはあいつであって。先程まで教室が騒がしかった主な原因であって。女子に連れて行かれるかのように教室から消えたあいつだ。
 教科書とノートと詰めた鞄を抱える。宮本に声を掛けられていた事だし、そろそろ部活に行くかと席を立つ。
 教室を出て、昼休みの時間に比べると幾分静かな廊下を進む。ふと、二階の窓から渡り廊下を見下ろすと、何故か女子が沢山はいるのが見えた。これからそこを通って部活へ向かわなくてはいけない、と思うと少し気が重くなる。はしゃいでいる女子の波を避けたり掻き分けたりするのは、割と重労働だ。どこからか生産される圧倒的パワーがいっそ恐ろしい。と言うのは最近ひしひしと実感している。主に誰かのせいで。
 良く見ると、集団の真ん中に望月の姿があった。なるほど、それでこの人だかりか。
 何故そこに陣取ってくれてしまったのか。せめて他のところへ行って欲しかった。出来れば進路を塞がないところ。欲を言えばそう、自分の目に付かないところ。
 そこで三度目の、何故よりによってあれなのか、だ。
 ぼんやりと渡り廊下の望月を見下ろす。にこにこと笑って楽しそうだ。あいつが転校してきてからまだ少し。アイギスに阻まれて教室内で会話する事は殆ど無い。順平などを交えて昼飯を一緒にする事はしばしば。後はたまに部活帰り、女の子と別れた後なのか一人でいる望月と会って途中まで一緒に帰る事があるくらい。仲良くない訳ではないが、順平ほど望月と仲がいい訳でもない。なんとも微妙な距離感だ。
 それなのに、何故だか。
 ぼうっと見下ろしているだけのつもりが、実のところ目が離せないだけなのだ。
 あれの一体どこがいいんだろうか。空と同じ色をした目。目元の泣き黒子。この二つは無意識に目が行く。割とどちらかをずっと見ている事があると思う。何だ、これでは見た目だけじゃないか。見た目だけって言うなら可愛い女の子を選ぶんだろうし、違うと頭を振る。
 ならば中身か、と言われるとそれもどうなのだろうか。人懐っこくて良い奴だが、如何せん言動が軽すぎる。この前一緒に帰った時は「髪の毛綺麗な色だね。僕好きだな」と言われ髪を撫でられた。動揺のあまり絶句した。それでも望月はにこにこしていた。
 考えれば考える程さっぱり分らない。分っていたら苦労などしていないのだが。そもそも自分は男で、望月も男だ。だが別に自分に同性愛者の気があったような覚えはこの生涯でない。性別がどう、と言うわけではなく、たまたまそれが望月であっただけ、の様に思う。的確にあらわせる言葉を知っているならこんなにも混乱していないのだ。
 わけが分らないし混乱もしているが、それでも、割と落ち着いた気持ちだ。あそこで、ああして女の子に取り囲まれている姿を見ても「いつもの事だしな」というくらいだ。精々「こっち向け」位しか思っていない。まあこっちに気付く事なんてない、と分っているのでこうして堂々と、ずっと眺めているのだけれど。
 いい加減そろそろ部活へ行こうか。あそこの、人ごみを掻き分けて。女の子に取り囲まれる綾時の横を必死にすり抜けて、背中を向けて部活へ行くのだ。なんだかなあ、と思わなくも無いがでもこれで十分なのだ。望月は見ての通りの女好きだ。こっち向くことも無いだろうし、こっちを向かれたらそれはそれでどうしたらいいか分からない気がする。このままぽつりと芽を出してしまったそれを、見なかった振りをして忘れるように枯らしてしまえばいい。
 立ち去る前に最後にもう一度「こっち向け」と、心の中で思う。
 まあどうせ、気付かないのだけれど。
 望月の目は、空の青色を取り込んだような綺麗な色だ。あの色は純粋に、綺麗で、好きだと思う。
 眺めていただけの青色が、いつの間にか向かい合っていた。
 目が合った。
 思い過ごしだ、と思う暇は与えられず、視線が絡んだまま望月は笑った。それからこっちに向かって手を振る。
 何で。どうして。気付かれた。というかこっち向いて手まで振っている。どうして。どうして。
 驚きすぎて、手を振り返すのも忘れた。せめて会釈位すれば良かっただろうに。
 よろめくように、望月の姿が見えなくなるまで後ろに下がった。

「誰かいたの?」
「あ、うん」
 振っていた手を下ろしながら、二階の窓をもう一度見上げる。彼の姿はもう消えていた。
 こっちを見てたな。
 それも割りと長い時間。
 昼の休憩中、宮本君に声を掛けられているのを見たから、きっと今日はここを通って部活へ行くんだろうと思っていたのだけれど、これではもう来ないだろうか。
 上からずっと見ていたのは、単にここを通りたくて人が退くのを待っていた、だけじゃない、とか思ってもいいだろうか。人ごみを避けてここを通り抜ける位出来るし、僕に「道を空けて」っていえば女の子も一緒に退いてくれただろう。
 それにあの、目が合った後の驚き方。手を振ると、そのまますっと後ろに消えてしまった。僕が気付くなんて、思ってもみなかったんだろう。
「ちょっと僕この後用事があるから今日はここでね」
 両手を合わせて謝ると、女の子達は残念そうにしながらも「またね」と送り出してくれた。皆可愛らしくて素敵な女の子達だ。
 僕は校舎の中に入って、小走りで昇降口を目指す。
 本当はあそこで待ち伏せしてたんだけれど、って言ったらどう思うだろうか。気持ち悪いとか思われるだろうか。
 でも、こっちを見ていた。
(脈あり、とか思ってもいいかな)
 このまま走れば、昇降口で驚き顔の彼と合流できるだろうか。
 さて、まずはどうやって声を掛けよう。